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長谷川一夫、李香蘭『熱砂の誓ひ』1940(昭和15)年を見る [ドラマ]

映画「熱砂の誓ひ」(熱砂的誓言) full version 長谷川一夫・李香蘭 1940年/民國29年/昭和15年https://www.youtube.com/watch?v=stskD7cfzD0

日本人土木技官と志那(中国)人学者のむすめとのロマンスを軸に物語が展開する。

内容を煎じ詰めると「道を作るのはたいへんだ」である。

毎日利用している道路とそれを通した人々に感謝できる。

当時としては、「志那人よ、感謝せよ。日本は志那に対して良いことをしている。日本の中国進出は侵略などではない」ということを、視聴する日本人に自己納得させようとするものだったのかもしれない。

だが、そのような思惑をくどくどと考えることなく、志那と日本という国を越境した美男美女のラブロマンスとして楽しめると思う。もっとも、「国籍や民族を超えて・・」と考えると、こんどは「五族協和」などというスローガンも浮かんで来もするが・・

映画のなかで、舗装道路の有難さを志那人は理解できない。日本人の営為努力を妨げる。とりわけ、「共産匪」「八路軍」が武力行使してくる。もっとも、彼らとしてみれば、それが良いことであれなんであれ自分たちの国に、頼みもしないのに踏み込んで、勝手なことをしていることが気にくわなかったにちがいない。援助を依頼されて助力に出向いたのでなければ、「侵略」と捉えられても不思議ではない。

ユーチューブに当該映画を投稿した方は、動画に以下のコメントを加えている。「この映画は1940年/昭和15年/民國29年に公開された日本東京の東宝映画と中華民國北京の華北電影公司との合作映画で、当時の中華民國「汪兆銘(汪精衛)政権」建設總署の協力を得て制作されました」。

ということは、中華民國「汪兆銘(汪精衛)政権」にとっては、感謝すべきことであったが、「共産匪」「八路軍」にとっては「侵略」だったということになるのだろう。いずれにしろ、当時の志那は同じ民族同士で分裂状態にあったということだ。

先に書いた「五族協和」は満州国におけるスローガンだ。しかし、スローガンとははなはだ異なる風景を子ども時代に見たことを安倍公房は証言している。また、台湾は日本の植民地統治の成功例のように言われるが、埴谷雄高は子供時代に台湾人を人間扱いしていない様子を対談で語っている。

埴谷雄高と大岡昇平、その作風の違いのきたるところ(対談『〈少年〉と〈夢魔〉』から)
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2015-11-15

映画の話に戻る。

主人公(長谷川一夫)の兄は、「共産匪」に教唆された志那人(藤田進)の銃弾に倒れる。その遺志を継いで、まだ学生だった主人公は、卒業と同時に志那にわたる。

それ以前に、日本でたまたま知り合った中国人留学生(李香蘭)があとを追ってくる。・・・そして、数々の困難のなか、道路建設を完成させる。

当時の北京の様子を知ることができる。観光的な要素もある。李香蘭の歌も聞ける。



李香蘭「バカな戦争だった」吐露 晩年インタビュー公開
李香蘭が語るアジア
編集委員・永井靖二
2019年7月27日 13時00分
https://www.asahi.com/articles/ASM7L7V01M7LPLZU008.html

以下、当方未読

李香蘭 私の半生 (新潮文庫)

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2021/01/21
  • メディア: 文庫



もう一人の彼女: 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ

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  • 出版社/メーカー: 岩波書店
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  • メディア: 単行本




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