映画『雁』(森鴎外原作)を視聴 [ドラマ]
ユーチューブで、映画『雁』(森鴎外原作)を視聴する。
雁 Gan, The Wild Geese, The Mistress (1953) Eng Sub
https://www.youtube.com/watch?v=onCBSAcq2LU
高峰秀子が「お玉」、芥川比呂志が「岡田」を演じている。
原作を読んではいるが、だいぶ忘れている。金貸しのめかけとなったお玉と東京帝大?の学生である岡田との淡い恋物語で、結局、特別な関係になることなく、岡田の洋行によって女は過去の人となったという話だったと思う。
映画では、金貸しの男、つまり「お玉」の旦那とその家族のことが描かれている。ほとんど、原作にはなかったのではないか。40年以前に読んだだけなので、ほとんど忘れているから、原作についてあれこれ言う資格はないのだが、だいぶリアルに描かれている。
映画は、モノクロで、抒情豊かである。監督は豊田四郎とある。あとで誰が監督か確認してそうだと知ったのだが、市川崑のカメラワークを感じた。師弟関係にでもあったのだろうか。
抒情性とともに象徴性のつよい映画だ。カゴの小鳥と囲われている女である「お玉」そして、飛び立っていく雁(英語サブタイトルではワイルド・ギース)とドイツ人の博士の目に留まってヨーロッパに渡る一介の書生(学生)が対照されている。
「お玉」はダマされて高利貸のめかけとなる。高利貸ではなく、呉服屋の独身のご主人に囲われるということでめかけになったのだが、実は、そうではなかった。当時、高利貸がどれほど嫌がられていたかが分かる映画でもある。ダマされたことに気づいた後も、「お玉」は旦那と別れることができない。年老いた父親を抱えて貧乏に逆戻りすることを怖れている。そうした中で、岡田と出会うのだ。岡田との関係で、囲われた立場からの解放を得られると夢見たのだろうか。いずれにしろ、岡田の洋行で、夢ははかなく消える。
岡田との別れのあと、「お玉」はどうなっただろう。ラストシーンで不忍の池を飛び立つ雁のように、旦那と別れることはできただろうか。ひとりで生きていくことができただろうか。
『雁』は、ある意味、レベルアップの物語と考えることもできる。岡田は、一介のしがない書生からレベルアップしてドイツ人博士の助手となる。お玉は、貧乏からレベルアップして、高利貸の旦那のめかけとなる。社会的にどう評価されるかは別にして、経済的にレベルアップし金銭的な苦労から解放されたのは事実だ。また、高利貸の旦那にせよ、学生の使い走りで貰ったわずかな駄賃を貯蓄して裕福な金貸しになる。これもレベルアップしたことになる。
社会的にレベルアップを図るには、他者の目にとまる必要があった。知的能力や美貌に磨きをかけ、使い走りに精を出す必要があった。何事においても、レベルアップするためには、他の人々以上の並々ならぬ努力が必要のようである。そうして、引き立ててくれる誰かの目に留まることが、一大飛躍の根拠となる。
しかし、それで、レベルアップした先にあるものは何か。そこもまた、ひとつの「囲い」でしかないのではないかという疑問も生じる。
真の解放は、また別のところにあるように思う。
当該映画を見ていて、吉本隆明のことを思い出した。というより、鹿島茂が吉本のことを書いていたのを思い出した。
吉本隆明を規定した人生最大の事件(鹿島茂)
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2012-03-28
雁 Gan, The Wild Geese, The Mistress (1953) Eng Sub
https://www.youtube.com/watch?v=onCBSAcq2LU
高峰秀子が「お玉」、芥川比呂志が「岡田」を演じている。
原作を読んではいるが、だいぶ忘れている。金貸しのめかけとなったお玉と東京帝大?の学生である岡田との淡い恋物語で、結局、特別な関係になることなく、岡田の洋行によって女は過去の人となったという話だったと思う。
映画では、金貸しの男、つまり「お玉」の旦那とその家族のことが描かれている。ほとんど、原作にはなかったのではないか。40年以前に読んだだけなので、ほとんど忘れているから、原作についてあれこれ言う資格はないのだが、だいぶリアルに描かれている。
映画は、モノクロで、抒情豊かである。監督は豊田四郎とある。あとで誰が監督か確認してそうだと知ったのだが、市川崑のカメラワークを感じた。師弟関係にでもあったのだろうか。
抒情性とともに象徴性のつよい映画だ。カゴの小鳥と囲われている女である「お玉」そして、飛び立っていく雁(英語サブタイトルではワイルド・ギース)とドイツ人の博士の目に留まってヨーロッパに渡る一介の書生(学生)が対照されている。
「お玉」はダマされて高利貸のめかけとなる。高利貸ではなく、呉服屋の独身のご主人に囲われるということでめかけになったのだが、実は、そうではなかった。当時、高利貸がどれほど嫌がられていたかが分かる映画でもある。ダマされたことに気づいた後も、「お玉」は旦那と別れることができない。年老いた父親を抱えて貧乏に逆戻りすることを怖れている。そうした中で、岡田と出会うのだ。岡田との関係で、囲われた立場からの解放を得られると夢見たのだろうか。いずれにしろ、岡田の洋行で、夢ははかなく消える。
岡田との別れのあと、「お玉」はどうなっただろう。ラストシーンで不忍の池を飛び立つ雁のように、旦那と別れることはできただろうか。ひとりで生きていくことができただろうか。
『雁』は、ある意味、レベルアップの物語と考えることもできる。岡田は、一介のしがない書生からレベルアップしてドイツ人博士の助手となる。お玉は、貧乏からレベルアップして、高利貸の旦那のめかけとなる。社会的にどう評価されるかは別にして、経済的にレベルアップし金銭的な苦労から解放されたのは事実だ。また、高利貸の旦那にせよ、学生の使い走りで貰ったわずかな駄賃を貯蓄して裕福な金貸しになる。これもレベルアップしたことになる。
社会的にレベルアップを図るには、他者の目にとまる必要があった。知的能力や美貌に磨きをかけ、使い走りに精を出す必要があった。何事においても、レベルアップするためには、他の人々以上の並々ならぬ努力が必要のようである。そうして、引き立ててくれる誰かの目に留まることが、一大飛躍の根拠となる。
しかし、それで、レベルアップした先にあるものは何か。そこもまた、ひとつの「囲い」でしかないのではないかという疑問も生じる。
真の解放は、また別のところにあるように思う。
当該映画を見ていて、吉本隆明のことを思い出した。というより、鹿島茂が吉本のことを書いていたのを思い出した。
吉本隆明を規定した人生最大の事件(鹿島茂)
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2012-03-28