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死をタブー視しすぎる日本人の考えにモノ申す [スピリチュアルな話題]

東洋経済ONLINE7月16日に解剖学者の養老孟子氏と 小堀 鷗一郎 : 堀ノ内病院 地域医療センター医師 の対談がでている。

死をタブー視しすぎる日本人の考えにモノ申す
「死を受け入れる」とは一体どういうことなのか
https://toyokeizai.net/articles/-/361529

というものだ。

多くの死を実際に見てきた方々の意見は貴重だ。


当方が、死について考えるようになったのは、50過ぎてからだろうか。ということは、つい最近ということだ(ということにしておこう)。

学齢前から一家の代表のようにして祖母と葬式や法事に出かけて、坊主にあこがれるほどだったのだけれど、自分の死について考えることはほとんど無かった。

それは若くして亡くなった叔父が焼かれるのを、火葬炉ののぞき穴から見ても同じだったように思う。

よく知る人やおなじ年頃の人が亡くなる報道を聞くようになって、やっぱり人間て死ぬんだと実感するようになった。その延長として自分の死が出てきたというわけだ。
島森路子、逝く。
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2013-04-24

なかには幼児期から自分の死をつよく意識するような人もいるようだ。そういう方は自分の人生を充実させることに気をくばるようになるのも早いかもしれない。

死は避けることができない怖れの対象とされているが、実態を知れば受け入れやすくなる。

聖書には、死とはどのようなものかはっきり示されている。

伝道の書 9:4~6

生きているなら希望が持てる。生きている犬は死んだライオンよりはましだからだ。 生きている人は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ人は何も知らない。何かを得ることもない。思い出されず,忘れ去られる。また,彼らには愛も憎しみも嫉妬もすでになく,太陽の下で行われることに何の関わりも持たない。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/21/9#study=discover

以上の記述を見ると、死(者)の特徴は、なんにも知らないこと。感情もなく、他になんの影響を与えることがないこと。

だから、いわゆる「霊魂不滅」という考えを聖書は教えていない。死んだカラダから離れて残るタマシイがあって、ものごとを知覚し、生き残った家族や知人になんらかの影響を与えることができるとは教えていない。

では、無になって終わりかというと、そうではない。麻酔によって何も知らず感じることもない人が、ふたたび眠りからさめるように、再び地上に生き返ることが示されている。それが、いわゆる「復活」だ。聖書が示す希望である。

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

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  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本




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