島森路子、逝く。 [ニュース・社会]
島森路子が亡くなった。66歳だ、という。
毎日の報道によると、「5年ほど前から体がしびれて筋力が衰える進行性の難病を患い・・」と、ある。
インタビューアーとして、際立った方であったようだが、当方はよく知らない。
それでも、NHKで、「ハラスのいた日々」の著者中野孝次を招いての対談で、ご自分の会社にも、ペットとしてネコがいて、場を和ませてくれているというような話をしていたのを覚えている。
ほんとにバカげた感想だが、
人間て、やっぱり死ぬんだなあ と思う。
島森路子さん死去:「広告批評」休刊のわけ 天野祐吉さん明かす
2013年04月24日
雑誌「広告批評」元編集長で、テレビ番組のコメンテーターとしてお茶の間に親しまれた島森路子10+件(しまもり・みちこ)さんが23日午前1時30分、呼吸不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。66歳。秋田県横手市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は母タネさん。
79年、天野祐吉さんと共に「広告批評」を創刊。同誌が09年に休刊するまで約200本手がけたインタビューは目玉となり、詩人の谷川俊太郎氏や作家の村上春樹氏、タレントのタモリら幅広い相手に切り込んだ。
88年に天野さんから編集長を引き継ぎ広告ブームをけん引。マスメディアの中で巨大化する広告を通じ、好景気の中で肥大、多様化した消費社会の現場を精力的に紹介した。また1990年にフジテレビ「FNNニュースCOM」のキャスターを務めるなど、鋭く世相を読み解くコメンテーターとして人気を集めた。
天野さんによると、島森さんは5年ほど前から体がしびれて筋力が衰える進行性の難病を患い、闘病していた。天野さんは月に1度の見舞いで、雑誌の記事などを話題に雑談を交わしていたという。一方、別の関係者によると、島森さんの筋力は年々衰えて、最近は会話や筆記も困難に。「頭がはっきりしているだけに、思いが表現できない歯がゆさが伝わってきた」という。
「広告批評」の休刊は広告のウェブ化による市場構造の転換が主な理由だったが、天野さんによると「島森さんの病気も大きな理由だった。彼女なしでは成立しない雑誌だったから入院とともに幕を引いてあげたかった」と明かした。
天野さんは、昨年ミリオンセラーになった阿川佐和子さんの著書「聞く力」を引き合いに「“聞く力”を世に知らしめた元祖は島森さん。女性ならではの繊細な言語感覚で、インタビューというジャンルをクリエーティブに昇華した」と多大な功績を称えた。
◆島森 路子(しまもり・みちこ)1947年(昭22)1月17日、秋田県生まれ。69年に立教大を卒業後、講談社に入社。子どものための百科事典や絵本の編集を手がける。広告プロダクションに移り「キャッチフレーズ3000選」などの編集にあたる。TBS「ブロードキャスター」のコメンテーターも務めた。著書に「銀座物語」(96年)、「広告のヒロインたち」(98年)など。
毎日の報道によると、「5年ほど前から体がしびれて筋力が衰える進行性の難病を患い・・」と、ある。
インタビューアーとして、際立った方であったようだが、当方はよく知らない。
それでも、NHKで、「ハラスのいた日々」の著者中野孝次を招いての対談で、ご自分の会社にも、ペットとしてネコがいて、場を和ませてくれているというような話をしていたのを覚えている。
ほんとにバカげた感想だが、
人間て、やっぱり死ぬんだなあ と思う。
島森路子さん死去:「広告批評」休刊のわけ 天野祐吉さん明かす
2013年04月24日
雑誌「広告批評」元編集長で、テレビ番組のコメンテーターとしてお茶の間に親しまれた島森路子10+件(しまもり・みちこ)さんが23日午前1時30分、呼吸不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。66歳。秋田県横手市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は母タネさん。
79年、天野祐吉さんと共に「広告批評」を創刊。同誌が09年に休刊するまで約200本手がけたインタビューは目玉となり、詩人の谷川俊太郎氏や作家の村上春樹氏、タレントのタモリら幅広い相手に切り込んだ。
88年に天野さんから編集長を引き継ぎ広告ブームをけん引。マスメディアの中で巨大化する広告を通じ、好景気の中で肥大、多様化した消費社会の現場を精力的に紹介した。また1990年にフジテレビ「FNNニュースCOM」のキャスターを務めるなど、鋭く世相を読み解くコメンテーターとして人気を集めた。
天野さんによると、島森さんは5年ほど前から体がしびれて筋力が衰える進行性の難病を患い、闘病していた。天野さんは月に1度の見舞いで、雑誌の記事などを話題に雑談を交わしていたという。一方、別の関係者によると、島森さんの筋力は年々衰えて、最近は会話や筆記も困難に。「頭がはっきりしているだけに、思いが表現できない歯がゆさが伝わってきた」という。
「広告批評」の休刊は広告のウェブ化による市場構造の転換が主な理由だったが、天野さんによると「島森さんの病気も大きな理由だった。彼女なしでは成立しない雑誌だったから入院とともに幕を引いてあげたかった」と明かした。
天野さんは、昨年ミリオンセラーになった阿川佐和子さんの著書「聞く力」を引き合いに「“聞く力”を世に知らしめた元祖は島森さん。女性ならではの繊細な言語感覚で、インタビューというジャンルをクリエーティブに昇華した」と多大な功績を称えた。
◆島森 路子(しまもり・みちこ)1947年(昭22)1月17日、秋田県生まれ。69年に立教大を卒業後、講談社に入社。子どものための百科事典や絵本の編集を手がける。広告プロダクションに移り「キャッチフレーズ3000選」などの編集にあたる。TBS「ブロードキャスター」のコメンテーターも務めた。著書に「銀座物語」(96年)、「広告のヒロインたち」(98年)など。