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ハルマフジ 礼儀 日本文化 双葉山 [ニュース・社会]

ハルマフジの事件についてであるが、当方はハルマフジにたいへん同情的である。もちろん暴行自体は非とするしかないのだが、ついつい手が出てしまったことについて思うところがあるのである。

最近の若い者の行状をみるときに(と、書いて、自分もそんなことをいう年齢になったかと思うが)、見るに堪えないことがある。一度など書店の棚の前に立ち書籍を見ているその前に割り込まれたことがある。会釈をするでもなく手で挨拶するでもない。棚との間はからだ一つ分ほどである。思わず罵声を浴びせたことがある。公共の場で罵声を浴びせれば「罵倒罪」になりかねないが、つい声が出てしまった。大学生風の女子であった。わびるでも反省するでもなく立ち去った。それでも、反撃されずに済んだだけまだマシかもしれない。

集団生活のなかで、礼儀を学ぶよう助けられる。意図して教えまた学ぶというのでなく、集団そのもののもつ規範意識が個人を規制する。小学3年の頃だと思う。放課後、暗くなったので帰ろうとしたとき、二つ三つ年上の者に声をかけた。「さいな」といった。方言でさようならの意だが、決して丁寧な言い方ではない。そして言葉そのものもそうだが、片手を後ろ手に振って「さいな」と軽く言ったことが、相手の気分をいたく害したらしい。呼び止められて「なんだ、さいなって」ということになった。暴行は受けなかったが、気をつけなければいけないナと思った。ニワトリはツツキ合いのなかで集団の中で序列が決まるというが、それだナとずっと後になって思った。

ハルマフジは、モンゴル人力士のなかで白鵬もふくめ最年長だと聞く。まだモンゴル人力士会のメンバーが数少ない頃からのひとりで、相撲社会の力士集団の規範のなかで「かわいがられて」番付を上げてきた。あとから来るモンゴル力士以上の風当たりを当然うけたであろうし、相撲界ならではのきびしい序列を「かわいがり」をとおして存分に学んだはずである。

だいたい自分がヤラレタことが他を顧みる際の基準になる。先輩力士から説教されている時に、態度が悪いと殴られたこともあったにちがいない。であれば、どうして自分が後輩にして悪いことがあろう。そうハルマフジが考えてもおかしくはない。それが、相撲社会でこれまで当然のことだったのであれば、なおさらだ。

話しがアチコチするが、作家保坂正康さんの学校時代の思い出を最近読んだ。その新聞記事を紛失してしまい、そのまま引用できないのだが、兵隊帰りの普段は温厚な先生が、なにかの機会に切れてしまったのを見たことを記していた。それは、単に呶鳴った、殴ったなどというものではなく、(当方の読んだ印象では)「半殺し」にちかいものではなかったかと感じた。

これは当方の見たことだが、小学生のころの恩師にニューギニア帰りの先生がいた。観光で行ったのではない。戦争で出向いた。アメリカの捕虜になった経験も話してくれた。あだ名はジャングルといった。たいへん自由を感じさせる先生で、杓子定規なところがなかった。教室でネコを飼育するのを生徒に許していた。ところが一度、豹変したことがある。他の教室の生徒が入ってきて、勝手なふるまいを始めたとき、決してそれまで見せたことのない反応をした。「キサマ(貴様)ー」と叫んで、その生徒の胸倉をつかんで教室から放りだしてしまった。普段の様子からはまったく想像できない姿だけに驚いた覚えがある。

保坂さんのそして自分の見た先生の「豹変」は、ベトナム帰りの兵隊が寝ているところを体に触れられ、戦地でのことがフラッシュバックして危うく家族を絞め殺してしまいそうになった経験などともつながるように思う。

ハルマフジも、タカノイワの礼儀を失した態度に、「豹変」してしまったのだろうように思う。なにしろ、相手は貴乃花の弟子である。こんどの一件での、貴乃花巡業部長の相撲協会執行部に対する態度から推して、弟子もその傾向を受け継いでいるのではないかと思う。であれば、先輩ハルマフジの説教を真摯に受け止めない態度に「豹変」しても仕方のないことではないかと思ったりもするのである。

事の全容はわからないが、違和感をおぼえる事件である。その違和感をほかにどこかで感じたように思う。ことしか去年か、どこかの修行僧が残業代を自分の帰属する寺に請求する訴訟を起こしたような話しがあったと思う。修行僧が、寺の仕事を行うのはフツウ無償で行うに決まっている。無償であるからこそ尊いという見方が社会通念だったと思う。残業代を支払うようにというのが、寺の外からの要請であるならまだしも、帰属する内側からの、しかも修行僧自身からの請求であることに驚いたのだが、それとも通底するように思う。一言で言うなら、日本の文化、帰属集団のもつ通念規範といったものが、崩れているのを見ている感じといえるかもしれない。

ボウズの修行が無償であるのは当然で、相撲取りが「暴力をふるう」のは当然である。突いたり、投げたり、倒したり、張ったり、みんなスポーツの名を借りた「暴力」である。暴力をふるうのが、当然の社会で「暴力」がふるわれて犯罪とされてしまう。それが、土俵の上であれば問題なかったのであろうか。土俵の外であったのが、問題の最大の原因か。プロレスのデスマッチで、からだ中キズだらけになり「何針ぬった」と騒いでも傷害罪が云々されたことは聞かないから、やはり、そうなのであろう。

ひろく考えれば、相撲界という土俵の中の問題を、外部(警察)に通報したことが、いちばん問題をこじらせる元であったと思えなくもない。


ここで、いま脈絡なく思い出したことなのだが・・・貴乃花も白鵬も尊敬するという双葉山のことだ。

双葉山は、ちゃんこ番の力士に胸を貸して退けなかったという話しを聞いたことがある。イワシのつみれ団子なぞを作った手で、かかってくるのを双葉山は許したという。もっとも、「おめえ臭えな」と言いつつ受けたというような話だった。なんであれ後輩力士が強くなるのを願っていたことを示すエピソードにちがいない。

また、鶴見俊輔さんが、双葉山のことを話していたことも思い出す。戦争状態になったアメリカから「交換船」で日本に帰ってきた動機についての話ししていたとき、双葉山の言葉を鶴見さんは、突然もちだした。〈「くに」というのは、「国家」のことではない、双葉山が「くにもん(国者)来い」というときの「くに」だよ〉と言っていた。双葉山は、所属する部屋を超えての「国者」(同郷の者)たちとの懇親会をひらくなどしていたのだろうか。ちょうどモンゴルの力士会のように・・・。

双葉山のエピソードが、本日のブログ記事全体とどう繋がるのか書いた本人も分からないのだが・・・

以上これまで。


追記:保坂正康さんの記事は『毎日新聞』11月27日号 学校と私 〔戦争の影背負った「先生」〕によるもの。「つづく」部分に全文掲載

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学校と私
毎日新聞2017年11月27日 東京朝刊
戦争の影背負った「先生」
ノンフィクション作家・保阪正康


終戦の翌年、北海道八雲町で国民学校(翌年から小学校)の新入生になりました。奉安殿(天皇の写真などを納めた建物)を、校長先生が一人ハンマーで壊していたのが、入学した春でした。軍国教育を受けていないので、上級生に「歴代天皇の名前も言えないのか」とからかわれました。戦争の名残に満ちていたこの時期が私の原点です。


4~6年時の担任だった当時30代の先生が、読書や文学の喜びを教えてくれました。「小説は生きる知恵を与えてくれる」と武者小路実篤や伊藤左千夫の作品を勧めたり、音読は「芝居のせりふのように読んでみろ」と指導したり。先生は、たまに授業を自習にして、児童の前で窓の外を眺めていた。涙がほおをつたっていました。軍隊時代に戦場で失った友人を思い出していたと、後に知りました。

あるとき、普段はとても温厚なこの先生が、壮絶な勢いで児童に殴る蹴るを繰り返しました。理由は「敬語を使わなかったから」でしたが、おそらく、封印していた軍隊での記憶がよみがえるようなことを言われて、歯止めが利かなくなったのでしょう。暴力とはどんなものなのか、初めて目の当たりにした体験でした。

中学へは汽車通学で、毎日、一緒に乗る1学年上の生徒に話を聞き、社会科学の簡単な「講義」を受けたりもしました。その人が評論家の西部邁さん。彼こそが私の中学時代の「先生」でした。

高校の数学教師だった父は、私を医者か数学者にしたかったのですが、高校時代の私は反発して、映画のシナリオ作家か監督になりたかった。授業をサボって、学生服姿で映画館通い。大学は北海道を飛び出して同志社大へ進み、演劇に打ち込みました。

父は、戦前の北海道帝大で大学院まで出たのに、出世を断って一教師を貫いたため、周囲に変わり者と思われていました。中学生の頃、横浜で関東大震災の中国人虐殺を目にしたことが、人生観に影を落としていたようです。死の少し前に父の背景を知り、自分がいかに浅はかで親不孝だったかを悔やみました。大人たちの背負っていた戦争の影響、西部さんや父を含む「先生」に育てられて今の私があると、つくづく思います。【聞き手・鈴木英生】


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