SSブログ

ハクホー仁王立ちの「物言い」に待った [スポーツなぞ]

オドロキました。ハクホーが仁王立ちの記事。

NHKの相撲中継を見ていないのだが、異常事態である。

勝負審判がすごい形相で手をあげた記憶はある。貴乃花親方の父親が勝負審判のときだ。誰の取り組みか忘れたが、髷に指が入っていたのを指摘したのだ。それは反則行為であり、受け入れられた。

勝負審判以外が行事に物言いをつけた記憶は、ハクホーが砂かぶりの控えに座っていて、他の取り組みに物言いをつけた例が、比較的最近あったと思う。それも受け入れられたように思う。

しかし、自分の取り組みについて、行事に物言いをつけた例は、今度がハジメテである。記憶のどこを探ってもナイ。しかも、ハクホーは仁王立ちで1分半とか頑張っていたらしい。相撲の世界で1分半は長い。異常事態であり、異様事態である。


それを見ての印象は、「ハクホーは日本人ではないからナ・・・」という思いだ。

もし日本人だったら、ソンナことは絶対しないであろう。少なくとも、日本文化を身につけた伝統的な思考をもつ日本人であれば、である。

ハクホー仁王立ちの写真を見て、まず思い出したのは、柔道の篠原のことだ。ぜったい勝っていた試合に文句をつけなかった。誤まった判定を招く危うい勝ち方をした自分がワルイという思いでいたのだろうと思う。フランス人審判によってフランス人の優勝が、それで決まった。

アメリカチームに負けたこと、柔道の篠原のこと、トリノのこと
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-03-13-1

曙(あけぼの)という横綱がいた。ハワイ出身だった。その謙虚であること、その態度ふるまいから「日本人より日本人らしい」と言われてもいた。ところが、相撲界を去って、プロレスに行った。オドロキであった。そして、そのときも「日本人でないからナ」と思った。

角界に残っていれば親方衆にはいり、文部科学省から補助金もでる「国技」の栄誉のなかで暮らせたのに、プロレスなどという社会の最下層(アメリカではボクシングの世界は、社会の最底辺に位置するような話を聞きもするが、プロレスはそれ以下と見なされているのではなかろうか・・)に、日本の「国技」相撲の最高番付の持ち主が、あっさり身を移してしまった。

たぶん日本人であるということは、日本語のなかで生まれ、日本語で涵養され、日本語で生きている人間を言うのだ。日本語で育まれた文化を自然に身につけた人がほんものの日本人であって、国籍を取得して日本人になったという人は、どこまでいっても帰化人でしかない。江戸っ子が、三代にわたって東京で生まれた人でないとそう呼ばれる資格がないというが、それと同じで、二代目は、「俺は東京生まれの東京育ちだ」と言っても、「江戸っ子じゃない」と言われてしまう。さびしくキビシイ話しであるが、それが現実で、それに甘んじざるをえないところがあり、それを受け入れてきたように思う。

そもそも日本の伝統文化の中に外国人を加えるというのがマチガッテいるのではないか。外国人を排斥するというのでなく、「国技」としてそれほど大事に思うのであれば、競技をするのは日本人に限定すればいい。サッカーや野球のようにプロ選手をめざす子どもがいないというが、むかしは、神社や公園には必ず土俵があって、祭りのときには奉納相撲などやっていた。学齢前からそのような行事が習慣となっていれば、関取になりたいという子どもも増え、わざわざガイジンを招聘する必要などないはずである・・・

・・・というようなことを、

貴乃花親方は考えているのだろうか・・・。

ニュースには、ハルマフジ暴行事件についての相撲協会の聴取を拒否したという。

もっとも貴乃花親方は、日本人というより・・・、

宇宙人にちかいような話もでているが、ソレはまた別の話し・・・。


国技館: 大相撲力士、土俵の内外 (河出文庫)

国技館: 大相撲力士、土俵の内外 (河出文庫)

  • 作者: 尾崎 士郎
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/12/08
  • メディア: 文庫



相撲、国技となる

相撲、国技となる

  • 作者: 風見 明
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2002/09/01
  • メディア: 単行本




共通テーマ:日記・雑感