SSブログ

仙台、中2生徒自殺の責任は教師にある? [ニュース・教育]

仙台で中2生徒が自殺したことが話題になっている。

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&gl=jp&tbm=nws&authuser=0&q=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%87%AA%E6%AE%BA&oq=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%87%AA%E6%AE%BA&gs_l=news-cc.3..43j43i53.90472.93095.0.93555.15.11.0.0.0.2.502.1477.2j1j1j0j1j1.6.0...0.0...1ac.1j4.VQX4S2ct5_g

調べてみれば、死の前日、教師から体罰を受けていたという。男先生から授業中寝ていたので叩かれた、という。それ以前にも、女先生から騒がしいということで口に粘着テープを貼られたこともある、という。

それを聞いただけで、この生徒はよっぽどのモンダイ児にちがいないと当方は思った。それでも、ネット報道をみると、生徒の平素の態度、そのモンダイ性についてはまったくふれられていない。

自殺については、もっぱら教師の責任問題に発展しそうである。

昨日、更新に際して取り上げた司馬遼太郎「菜の花忌シンポジウム」には、解剖学者の養老孟司さんも参加している。そこでの発言が興味深い。

「教育について論じられるときに、なにか言われるのは先生のことばかりですね。生徒の態度については言わない。学ぶ態度や姿勢については教えなくなった。「お前は態度がわるい」と言われるのはいやなものでしたが・・」と韜晦しながら話している。

事実そのとおりではなかろうか。いろいろ言われるのは先生ばかりである。だからと言って、体罰を是認するわけではないし、注意の仕方に問題が無かったとは言わないが、それでも、それをもっぱら生徒自殺の根拠とされては、先生たちがたいへん気の毒である。

当方の学生時代、授業中寝ていて『閻魔帳』で叩かれた生徒を知っている。当人も自分が悪いと言っていた。先生は熱血教師で、試験答案は採点だけでなく、すべての問題を添削して返してくれた。赤字でびっしり埋められていた。徹夜もめずらしくないと言っていた。バシンという響きの強烈さにみな度肝を抜かれたが、その行為を悪くいう者はいなかった。先生と生徒の間の信頼関係があったからだと思う。

今は、教師にとって受難の時代である。モンスターペアレントのせいで退職した先生を知っている。定年前にやめて、時給アルバイトをしている。生活もたいへんになったと奥様から聞いた。

むかしは、うかつに学校で先生に怒られたなどと家に帰って言えなかった。「お前がワルイことをしでかしたので怒られたのだろう」ともう一度怒られることは目に見えていた。つまりは、先生と親との間の信頼関係は、目に見えるかのように強固だったといえるように思う。

教師と生徒、教師と親の信頼関係の土台にあるのは、教えを受けている、授けてもらっているという認識があったからだろう。今だって教えの授与関係は同じはずだが、塾の教師やらなにやらその他もろもろとの関係で相対化されて、以前ほどの絶対性は無くなってしまったということなのだろう。

いつぞやの、名古屋大女子殺人事件犯人も出身地は宮城県だ。なにか、教育面で種々の問題を発生する心理的な土壌のようなものがあるのだろうか。地域性からくるなにかである。そういうものがあるのではなかろうか。そんな感じがする。

「我が校に隠蔽はありません」名大・殺人事件容疑者卒業高校校長談話http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12

いじめなんぞで死ぬな
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-10-16

〈つづく〉部分に、『毎日新聞』連載の「女の気持ち」から本日分を掲載。
カナダの団体職員の方が、子どもの頃の出来事を回顧している。そこには、虐待を受けていたと思われる同級生と後に「勲章を授与」された担任女性が登場する。〈子どもが自殺すると『気づかなかった』と学校関係者は深々と頭を下げる。それを見るたびに、半世紀前の習字の授業を思い出す〉と筆者はいう。
タイトルは「気づかない?」。


まあだだよ [DVD]

まあだだよ [DVD]

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • メディア: DVD


気づかない?
カナダ・トロント 青木奈美(団体職員・59歳)
毎日新聞2017年5月20日 東京朝刊

小学生の時、いつもしょぼくれた服を着て髪はボサボサ、ガリガリにやせている子がクラスにいた。彼女の家はゴミだらけだと同級生が話してくれたことがある。

その子の背中には、たばこを押し付けたようなやけどの痕がいくつもあって、学校の健康診断で背中を見るたび、「どうしたんだろう?」と不思議だった。今思うと、その子は虐待を受けていたのだろう。

その日は習字の授業があって珍しく、皆、静かに筆を走らせていた。教室内を歩き回って指導していた担任の先生が、その子の近くに寄ったときだった。

「くさーい! あんた、頭、洗いなさいよ! くさっ!」と顔をしかめながら、先生が大声で言い放ったのだ。

私を含め、クラス中の子が彼女の方を振り返った。振り返ったことを悔やみながら、「何てひどいことを言うのだろう……」と、子ども心に思った。

学校はその子の家庭環境に疑問を持たなかったはずはないと思うが、担任の態度からして、援助の手を差し伸べたとは思えない。「女性だから改革できる」を信条としていた担任はその後、各校で校長を務めた。児童中心の教育指導に手腕を発揮したと、勲章を授与された。

先日、仙台市の中学生が自殺したという悲しいニュースが流れた。いじめや虐待は後を絶たない。子どもが自殺すると「気づかなかった」と学校関係者は深々と頭を下げる。それを見るたびに、半世紀前の習字の授業を思い出す。

トラックバック(0) 

トラックバック 0