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竹越与三郎 孤高のリベラリストの実像とは [本・書評]

新聞掲載のミネルヴァ書房新刊案内に『竹越与三郎』とある。

「孤高のリベラリストの実像とは」というコメントが付されていなければ、文楽の太夫と誤認したかもしれない。新聞には、下にあるような書籍画像はなかったのだからなおさらだ。


竹越与三郎:世界的見地より経綸を案出す (ミネルヴァ日本評伝選)

竹越与三郎:世界的見地より経綸を案出す (ミネルヴァ日本評伝選)

  • 作者: 西田 毅
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2015/09/10
  • メディア: 単行本



幸いなことに、最近読んだ加藤秀俊さんの著作《メディアの展開 - 情報社会学からみた「近代」》において啓発を受けていた。それで、誤認せずにすんだ。


メディアの展開 - 情報社会学からみた「近代」

メディアの展開 - 情報社会学からみた「近代」

  • 作者: 加藤 秀俊
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/05/08
  • メディア: 単行本



加藤さんの『メディアの展開』12章(「自由の季節」-「近代」文化史再考)には、竹越について次のように記されてある。すこし長いが、引用してみる。

田口卯吉のあと、こんどは竹越与三郎という卓越した歴史家があらわれた。中公新書の「創刊号」ともいうべき桑原武夫編『日本の名著』は明治以降に出版された名著50冊をとりあげて紹介・解説しているが、そのなかで編者じしんが執筆した「名著」のひとつはその三叉竹越与三郎の『二千五百年史』であった。なぜ、この書物が「名著」としていまなお読まれなければならないのか。その事情はこう書かれている。p565

こんにち“歴史科学者”は多いが、“歴史家”は少ない。いうまでもなく歴史は事実の学であって、事実の発見、その真偽の判別、その相互連関などを調べることを基礎的作業とする。しかし、そうした作業を実証科学的にまたは法則追及的におこなうだけでは、まだ歴史にはならない。歴史はつねに全的把握を必要とする。たとえ限られた時期の、限られた問題を扱うにしても、そこに全的把握の光がさしていなければ、歴史の部分品であって歴史とはいえない。こんにち歴史書はきわめて乏しいのである。学問の細分専門化と精密化という美名が、こうした欠陥の存在を学者に忘れさせており、欲求不満におちいった読書人は、さすがにトインビーは偉いなどと思ったり、時代物大衆文学をひもといたりして、ごまかしている。(強調箇所は、加藤秀俊氏による)

この書物がつくられた時期、編者たる桑原先生のちかくにいて、しかもその執筆者のひとりとして参加していたわたしにはこの文章の意味がイヤというほどよくわかる。あの時代、京都大学だけでなく日本の大学の人文学はほぼ圧倒的にマルクス主義史学の影響下にあり、わたしのまわりは「歴史科学者」ばかりだった。そんななかで「歴史家」として竹越をとりあげたのは編者の炯眼というべきであろう。正直なところ、わたしじしんが、この「歴史家」について深く知り、『二千五百年史』を熟読したのはそのときであった。p566

もとより、わたしの世代ならこの人物の名前は知っていたが、なにしろ題名が「二千五百年」つまり皇紀の年号でしるされ、しかも「紀元は二千六百年」という歌を戦時中に歌っていたのだから、この本は「皇国史観」による国粋主義の書物にちがいない、と頭からキメつけていたのである。しかし、じつはそうではなかった。明治29(1896)年に出版されたこの本はリベラリストによる貴重な日本史概論だったのだ。

竹越与三郎は田口卯吉におくれることちょうど10年、慶応元(1865)年に現在の埼玉県本庄市に生まれ、のち新潟に移住、そして明治16(1883)年に上京して慶応義塾に入学し、福澤諭吉に学んだ。かれは「維新」を体験したことのない新世代の慶応ボーイだったのである。そして諭吉のもとで英語をよく勉強して17歳のときにチャンプルンという人物の『米州行政権』を翻訳した。現物をみていないのでわからないが、おそらくアメリカの連邦政府と州政府の関係を論じた書物だったのであろう。それを手はじめに、かれは福澤に激励されて『近代哲学綜統史』『独逸哲学栄華』などたてつづけに訳書を出版した。バジョットの『英国憲法之真相』(The English Constitution, 1867)を原著刊行後20年で翻訳したのも竹越であった。

翻訳だけではない。かれは明治23(1889)年にはクロムウェルの伝記を書き、さらにマコーリーの『イングランド史』を読んで『マコウレー』という書物を明治26(1893)年に書き上げた。つまり、竹越は英語の文献によって英米の歴史と歴史学を学び、その素養のもとに日本の歴史に挑戦したのである。

文筆家としては、一時、福澤の経営する時事新報社に入社したがまもなく退社して群馬県の高崎教会にはいって洗礼をうけ、英語塾をひらくと同時に徳富蘇峰を知って『国民新聞』で論陣を張る。のち、こんどは西園寺公望の知遇をえて月刊誌『世界之日本』の主筆となり、文部大臣時代の西園寺文相の秘書となり、明治35(1902)年に新潟から立候補して衆議院議員となった。晩年は貴族院議員、枢密顧問官などを歴任して昭和25(1950)年に85歳でその生涯をおえた。p567


このあとに、「歴史科学者」ではなく、「歴史家」である竹越与三郎。「英語の文献によって英米の歴史と歴史学を学び、その素養のもとに日本の歴史に挑戦した」人物の「明治維新」に対する評価がしるされていて、たいへん興味深い・・・

竹越與三郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E8%B6%8A%E8%88%87%E4%B8%89%E9%83%8E

徳川を「封建暗黒の時代」としたのは
(『メディアの展開』加藤秀俊著から)
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-07-29-1

2:講演を聞いて・・「網野善彦 人と学問」 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2010-06-07


日本の名著―近代の思想 (中公新書)

日本の名著―近代の思想 (中公新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/10
  • メディア: 単行本



独学のすすめ (ちくま文庫)

独学のすすめ (ちくま文庫)

  • 作者: 加藤 秀俊
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/11/10
  • メディア: 文庫



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