SSブログ

放送大学「教育心理学概論」三宅なほみ先生 亡くなる [ニュース・教育]

うちはテレビを置いていない。そういうわけで、もっぱらラジオを聞いている。といっても、おもしろい番組があれば、聞くが、なければ聞かない。あたりまえのハナシである。

最近は、おもしろい番組がないときには、放送大学を聞くことにしている。特に決まった講座を聞こうなどというのではなく、数学であろうと語学であろうとオカマイなしに聞くのだが、そうすると、高齢で入れ歯がうまく合ってないのでは・・と思われる老先生が、在りし日の林家彦六師匠のように揺れる声で講義していたりして、そっちの方がおもしろかったりする。

昨日夜、放送大学にチューニングしたら「大学の窓」で、講座の紹介をしていた。2014年開設講座「教育心理学概論」の案内で、ミヤケという先生が紹介された。男女の先生が紹介されて二人ともミヤケである。どうも夫婦らしいのであるが、夫婦としては紹介されていなかった。

女・ミヤケ先生の声がはつらつと若く印象的で、年齢はいくつくらいだろう?40代?などと思っていたのである。そうしたら、15分ほどの番組の終わりに、そのミヤケナオミ先生が亡くなられたという追悼メッセージが発せられた。

入れ歯の合わない老教授であれば、声も揺れてるしなあ・・と、それはそれで納得するのであろうけど、女・ミヤケのハツラツをずっと聞いていたので、なにか水を浴びせられたような思いがした。

それで、調べていたら・・女ミヤケ先生は60代半ばで、癌で亡くなられたことを知った。当方は、どこまでいっても他人なので、(聖書によれば、祖先をさかのぼると、みなアダムに繋がり、結果「人類は兄弟」ということになるが・・)愕然の度合いはソレナリだが、親しく知るゆえに、当方などはるかにしのぐ仕方で、なほみ先生の死に愕然とされている方も知ることになった。

学者先生どうしが、どのように研究をし、知識の交換をしているのかを垣間見たようで、興味深く思った。

なほみさん、ごめんなさい
(大津研blog)
http://oyukio.blogspot.jp/2015/05/blog-post_31.html


三宅なほみ(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E3%81%AA%E3%81%BB%E3%81%BF

東京大学 大学院教育研究科 三宅なほみ研究室のページ
http://coref.u-tokyo.ac.jp/nmiyake/profile/

youtube
三宅なほみ先生対談「協調学習:高校の授業をインタラクティブに!」
https://www.youtube.com/watch?v=vjMsFsJ0gAU


マーラー:交響曲第2番「復活」

マーラー:交響曲第2番「復活」

  • アーティスト: アバド(クラウディオ),マーラー,ヒリス(マーガレット),シカゴ交響楽団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2011/07/06
  • メディア: CD



旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本


なほみさん、ごめんなさい

三宅なほみさん

ごめんなさい。4月20日付のメールになんの反応もしないで。

まさか、病状がそんなに悪化しているとは考えもしませんでした。末期がんであることはそのことがわかったときに教えてもらっていましたので承知していました。でも、1年前にお会いした時も元気そのものでした。それで三宅なほみは末期がんさえ克服してしまうのではないかと思い込んでしまいました。だから、この夏のある研修会の基調講演をお願いしたのです。しかも、それを即座に快諾してくれましたものね。

4月20日付のメールは、「教えて頂きたいことができました」という件名で、「8月に再び講演のご依頼を頂きましたことに少し気を良くしまして、一件教えて頂きたいことがございます」と始まっています。続けて、「Chomsky が考案、提唱した competence と performance について改めて教えて下さい」と書かれていました。添付されていたファイルは20行程度の短い文章でした。メール本体は、「この考え方が、大津さんからご覧になって、どの程度妥当性がありそうか、全く危ないか、これについて極簡単に書こうとした断片を添付させて頂きますので、お時間を頂けるようであれば、コメント下さい。まずはNGかどうかお返事頂き、後ほどお時間のある時に理由などコメントあるいは解説あるいは「これを読みなさい」指示を頂くので結構です」と締めくくられていました。

すぐに読ませてもらいました。チョムスキーの用語法とは違うけれど、考え方は相通ずるものがあるというのが直後の反応で、その1行だけでも返信しようかと思いました。ただ、せっかく、反応するなら、きちんと文章にしてからと思い、なほみさんの文章をプリントアウトしたものをずっとバックパックに入れてありました。

なんとか連休明けにはご返事をと思いつつ、夏の基調講演の詰めもあるから、6月に入ったら、一度東大へ出かけて、久しぶりに夕食でも食べながら、自由に意見交換をしようと思い始めていました。なほみさん、ごめんなさい。

「これを読みなさい」ということであれば、やはり、Aspects of the Theory of Syntax (1965, MIT Press) の第1章ということになると思います。さらに、今年になってから出版された同書の「50周年記念版」に付された、チョムスキー自身による新たな「序」を併読したらもっとよい。それだけでも伝えればよかった。

悔いというのはこんなものなのでしょう。波多野誼余夫先生が逝去されたときに感じた空虚さとはちょっと違った悔しさを感じています。

もう少し時間が経って、心が落ち着いたら、また書きますね。

大津由紀雄
2015年5月31日
トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

トラックバック 0