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吉田事故原発所長と東電本店とのやりとりから見えたモノ(福島原発「吉田所長」の遺言) [ニュース・社会]

日経新聞(9/15)に

〈福島原発「吉田所長」の遺言〉と題する記事が出ていた。

事故当時の、「吉田氏と東京電力本店とのやり取りを間近で見ていた東電のある広報担当者」の見たモノが報告されている。

(以下、引用)

東電のある広報担当者は

「まるで大本営のようだ」と漏らしていた。

人員増強より、状況説明ばかりを求め介入を繰り返した首相官邸。

現場の意見より 官邸の意向を尊重する本店。


最前線で奮闘する現場の意見を聞かず敗退を続けた日本軍に似ていたという。


(記事はさらに次のようにつづく)


日本軍の敗北を分析した「失敗の本質」(ダイヤモンド社)は、敗因の一つとして「長期的な展望を欠いた短期志向の戦略展開という点では(中略)兵力の逐次投入に如実に表れている」とも指摘している。

(そして、次のように記されていく・・)

汚染水問題も同じ構図だ。安倍首相は、「場当たり的な事故対応ではなく、根本的な解決に向けて取り組む」と強調。汚染水対策に約470億円の国費投入を決めた。安倍首相は(8月23日に開かれた)吉田氏の「告別の会」にも訪れ、東電の下河辺和彦会長と言葉を交わした。吉田氏の霊前での会話は汚染水問題だったのか、それとも東電の経営再建だったのか。

と、意味深長である。

(記事は、さらに、当時から汚染水の処理が「喫緊の課題」であったことに触れつつ次のようにつづく)

吉田氏は公開された映像の中でも汚染水について触れている。「水の処理が喫緊の課題だ。手足を縛られた中、頑張れよと言われても到底頑張れる状況にない」(11年4月4日)。

吉田氏が訴えていたように事故収束で不足しているのは、抜本的な支援策ではないのか。


(と、あり、記者科学技術部次長 竹下敦宣 は、カネより支援策 と言いたいようであるが・・・)


毎日新聞(9/16)掲載の「風知草」で、山田孝夫が、「油断すれば倍返し」と題して書いている。

山田は、そこで、投入されるカネについて、「たかだか470億円の国費予算投入で『国が前面に出』たとは言えない」と書いている。汚染水に関する「首相の『アンダー・コントロール』は、どう見ても無理がある」と記た上で、そのように記していく。

以下に、全文引用する。
風知草:油断すれば倍返し=山田孝男

毎日新聞 2013年09月16日 東京朝刊


 汚染水はコントロールされていない。首相の「アンダー・コントロール(under control)」は、どう見ても無理がある。

 だが、その無理のおかげで東京オリンピックがやってくる。この苦みを、電力の大消費地こそかみしめなければなるまい。

 汚染水の後始末を被災地に押しつけ、首都圏は五輪ビジネスの皮算用−−という不公平に鈍感では、2020年東京五輪の成功など望むべくもない。

 たかだか470億円の国家予算投入で「国が前面に出」たとは言えない。将来にわたる東京電力の潜在的負債は15兆円から20兆円と見込まれている。

 民間企業の手に負えるレベルを超えている。そうと知りつつ国が前に出なかったのは、「事故の賠償責任は電力会社にある」という無理なタテマエに縛られてきたからである。

 その結果、巨大なモラルハザード(無責任状態)が生じた。放射能除染が典型だ。除染は法律で国の義務になった。

 ところが、同じ法律に「請求、求償があれば、費用は電力会社が支払うよう努める」と書いてある。これで、東電にツケを回して行政が除染を乱発する流れができた。

 除染作業員は危険手当がもらえる。下請けの人気が高い。ピンハネを狙って暴力団も介入した。

 賠償、除染、廃炉、汚染水。どこまで続くぬかるみぞ。支払い完了の見通しなく、作業員は疲労困憊(こんぱい)、意気阻喪。東電幹部は「無間(むげん)地獄です」と慨嘆だ。極悪人が落ちる、果てしなき最悪の地獄である。

 「東電も日本航空のように破綻処理すべきだ。東電の経営責任とメガバンクの貸手責任、行政責任を明確にするのが先」という批判は正論である。

 ただ、必要な公的資金のケタが違う。日航の3500億円に対し、東電は最低でも5兆円。底知れぬ負債がある。しかも事故制圧のための要員、ノウハウ、システムを東電以外で調達することは難しい。

 事故以来、東電を生かさず殺さず、国がカネを出すとも出さぬともつかぬ中間策で2年半過ぎた。この選択は急場しのぎだった。間に合わせの仕組みがついに破綻しかけている。

 原発事故が民間の手に負えないということは、日本が原発開発に着手した半世紀前から分かっていた。アメリカをはじめ、先進諸国では、「万一の場合は国家補償」が常識だ。

 日本もそれでいくはずだったが、大蔵省(現・財務省)が反対し、電力会社の負担に修正した。

 国が前面に出るとはどういうことか。まずは、原発が制御できていない現実を認めることだろう。原発制御になお膨大なカネがかかる実情を、国民に率直に伝えるべきである。

国家補償となれば、新たな国民負担が求められること必定。被災地と電力消費地の不公平を正す負担のあり方も工夫されていいと思う。何より、オリンピックで経済さえ発展すれば万事解決という安直な考えをあおらないことだ。

 高視聴率で話題のテレビドラマ「半沢直樹」(TBS)の主人公は、銀行に嫌気がさした銀行員である。反逆児・半沢は、上役の不正、責任転嫁、事なかれ主義と戦い、「やられたら倍返しだ!」という決めゼリフとともに理不尽な現実を変えていく。

 日本中が東京オリンピックに浮かれて舞い上がり、原発の後始末を忘れて油断すれば、過酷な現実によって「倍返し」を食らうに違いない。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)

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