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『卑小なる人間の偉大なる精神』 丸山健二 [本・書評]

以下は「日本経済新聞」1月29日文化面に掲載された丸山健二氏のエッセイ。

当方は丸山氏の良い読者ではない。ひどい話だが、その著作を一冊も読んだことが無い。

ただ、これまで明らかにされてきた氏の文学的姿勢には一目置いている。もし自分がなんらかの「小説」とおぼしき著作をものして、誉められて嬉しく思える人を仮に思い浮かべるとしたらこの人しかいないなと思う。

以下のエッセイには、丸山氏の文学的姿勢がよく表されている。

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今から四十五年ほど前、ひょんなことから柄にもなく小説家になろうと意を決したとき、それまで抱きつづけてきた、文学好きと称する人たちから圧倒的な支持を受け、異様なまでに持て囃され、傑作や名作とうたわれた作品の数々に対する、これしきの稚拙なレベルでは小説でもなければ文学でもないという、激しい憤りと、ほとんど生理的とも言える拒否反応が改めて噴き出した。

この国の人々は、あまりに子ども染みた、憧れいっぱい夢いっぱいのナルシシズム一辺倒の作品をよしとして、読み、書き、編んでいるのかと思うと、その世界に足を踏み入れることがためらわれて当然だったが、しかし、奴隷にすぎない勤め人の立場を離れたい一心から、敢えてその道へ入ることに決めた。そして、既成の文学への嫌悪の反動としてごく自然に生じる、「ならば、おまえはいったい何をどう書くつもりなのか」という自問に答えるための作品を文壇の外に身を置いて模索し、次々と発表しつづけているうちに、あっと言う間に時が流れ、いつしか高齢者の仲間に入ってしまった。

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聞くところによれば、バレエダンサーの苦悩は、加齢と共に精神性が深まってゆくものの、同時に肉体の衰えが進んでしまうことだそうだが、さいわいにして物書きは、舞踏家ほどには筋力を必要としないために、かなりの年齢に達しても作品の進化と深化に挑むことが可能である。長年にわたって慎重に身を律することができ、かつ幸運に恵まれれば、平均寿命をはるかに超える歳まで、いや、息を引き取る直前まで執筆を絶やさずにいられるかもしれないという、とても恵まれた芸術に携わっていられることをつくづくありがたく思う。

だが、人が精神のみで成立できる存在でないことは言わずもがなの事実で、命の本源が肉体に在るかぎりは、本能の勢いに任せてそれをあまり疎かに扱うと、当然ながら、肉体の一部にすぎない精神のほうもガタがきてしまう。そして、よぼよぼに老いぼれた肉体から芸術性のきわめて高い、溌剌として画期的な作品が飛び出してくるようなことになるはずもなく、当人自身は未だ発展の途上にあるつもりでいても、結局その絶頂期はとうのむかしに終了していて、以後、凋落の一途をたどっているという冷酷な現実に気づかないことだって珍しくはない。

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無頼派とやらを気取るための口実として、あるいは、人間的なだらしのなさがそのまま文学の世界においては売り物になるという不気味さを利用して、不摂生をよしとし、霊肉共にぼろぼろになってゆく末路をがむしゃらに肯定してみたところで、もはやどんな作品でも売れるという時代ではなくなってしまったために、またそうした小説に気休めの安らぎを得て酔い痴れてきた読者たちが、それよりもっと安直な感動ごっこに浸れる世界へと移って行ったせいで、かつての、尋常ではない、あくまでも商業的な意味における活気はすっかり影をひそめることになり、かくして、自堕落な姿勢を好む、素人同然の書き手たちの立つ瀬がなくなった。

当然の報いとしてのこの状況を指して、関係者は文学の衰退と大げさに叫び、活字離れと称して、世も末だと憂いてみせるのだが、実際のところは、もともときわめて地味なかたちでしか存続し得ない文学が、ようやく正常な状態に立ち戻っただけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない。

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そもそも文学はお祭り騒ぎや芸能界のごとき虚ろな華やかさとはまったく無縁なところに位置しているにもかかわらず、いつしかぼろ儲けが可能な場として位置づけられ、その波に乗ることだけが絶対的な目的と化してしまい、本質や核心は建前だけのものとなった。その間に、良書が悪書にどんどん駆逐され、あげくに売れるものだけが良書ということに定まりそんな陋劣な価値観が当たり前として罷り通るようになり、関係者の文学的な資質など取るにたらないものとなり、ために、目が肥えている成熟した読者は去ったきり戻らなくなった。

単に読みやすい、わかりやすいという、ただそれだけの理由で、あまりに低レベルな作品に群がっていた読者も、文学の質とは何の関係もないことに起因し、ファッションのようにまったくの気まぐれに発生するブームに釣られてしか小説に手を出さなくなり、出版界における最大にして唯一の狙いであった、はるかに分を超えるほどの高い売り上げも、とうとう幻想のたぐいに成り果てた。

にもかかわらず、文学が書き言葉を存分に駆使した、最も高度で、最も人間的な芸術であるという原点に立ち返ることができず、復活の道がほかにはないということにさえも気がつかず、ひたすら今を食いつなぐことにしか念頭になく、もはや絶対にあり得ない、かつての上辺だけの「文学黄金時代」の夢の名残りを追いつづけることしか思い浮かばない体たらく。

とはいえ、書き手のひとりとしては、あまりと言えばあまりな現状の押し流され、諦めてしまうわけにもゆかず、これぞ文学と思える作品を世に問いつづけるしかほかに手だてはない。その気になれば宇宙の隅々にまであまねく意識を飛ばせることが可能な、卑小な人間の偉大なる精神は、限界まで研ぎ澄まされた言葉によって初めて息を吹き返し、そのための精進さえ怠らなければ、この世を去る日まで真の感動の鉱脈を掘りつづけられる。


夏の流れ (講談社文芸文庫)

夏の流れ (講談社文芸文庫)

  • 作者: 丸山 健二
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/02/11
  • メディア: 文庫



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