震災時たまたま手にしていた書籍:方丈記 [本・書評]
たまたま手にしたとは言ってもクジを引くようにして手にしたというわけではない。
前々から入手していた書籍の中から、そのときわざわざ引き抜いて読んでいたいうことなのだが、いま思えばあまりにもよく出来過ぎているように思うのである。
その本とは『方丈記』のことだ。
戦乱、地震といった無常の世の無常の波の間に間に翻弄されてやどかりのような方丈の住まいを手に入れ山に隠棲した鴨長明の随筆。
こんなくだりがある。
「また同じころかとよ、おびただしく大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず、山は崩れて河を埋み、海傾きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。・・」(定訳日本の古典37 小学館)
あまりに「時」に符合しているように思え、自分が預言者のように思えてきたりしてもいた。預言者とまではいかなくても、なにか「時」を察知するセンサーが自分のうちにあって、それに動かされて『方丈記』を手にしたのではあるまいかと思いもするのだ。
いわゆる「シンクロニシティー」というやつである。
今は、筑摩書房から昭和36年に出た石川淳の全集を入手したのでそれをぼちぼち読んでいる。10巻揃いの全集で背皮装丁のものを1500円という破格値で仕入れることができた。
これもなにかの意味があるのだろうか?
前々から入手していた書籍の中から、そのときわざわざ引き抜いて読んでいたいうことなのだが、いま思えばあまりにもよく出来過ぎているように思うのである。
その本とは『方丈記』のことだ。
戦乱、地震といった無常の世の無常の波の間に間に翻弄されてやどかりのような方丈の住まいを手に入れ山に隠棲した鴨長明の随筆。
こんなくだりがある。
「また同じころかとよ、おびただしく大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず、山は崩れて河を埋み、海傾きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。・・」(定訳日本の古典37 小学館)
あまりに「時」に符合しているように思え、自分が預言者のように思えてきたりしてもいた。預言者とまではいかなくても、なにか「時」を察知するセンサーが自分のうちにあって、それに動かされて『方丈記』を手にしたのではあるまいかと思いもするのだ。
いわゆる「シンクロニシティー」というやつである。
今は、筑摩書房から昭和36年に出た石川淳の全集を入手したのでそれをぼちぼち読んでいる。10巻揃いの全集で背皮装丁のものを1500円という破格値で仕入れることができた。
これもなにかの意味があるのだろうか?