1:『多読術』松岡正剛著から [本・書評]
松岡正剛さんの新刊『多読術』を読んでみた。
著者は、「読み手」としてだけでなく、「書き手」としても、また、世に本を送り出す「編集者」としてもツワモノである。『多読術』には、まさに、そのようなツワモノである松岡さんならではの読書術が示されている。
ざっくりと要約するなら(換骨奪胎?キチンと知りたい方は、原著に当たってください)・・・
読書に際しては、「書き手(のモデル)」を、また、「編集者」を意識して読書すべし・・・と、要約できそうだ。
その点に関し、著者は次のように言う・・・
「書くのも読むのも『これはコミュニケーションのひとつなんだ』とみなすことです。人々がコミュニケーションするために、書いたり読んだりしているということです。このとき、著者が送り手で、読者が受け手だと考えてはいけません。執筆も読書も『双方向的な相互コミュニケーション』だと見るんです。
「次にそのうえで、著者と読者のあいだには、なんらかの『コミュニケーション・モデルの交換』がおこっているとみなします。それがさっきから言っている『書くモデル』と『読むモデル』のことなのですが、そこには交換ないしは相互乗り入れがあります。正確にいうと、ぼくはそれを『エディティング・モデル』の相互乗り入れだと見ています」
「読書というのは、著者が『書くモデル』をつくったところへ読者は自分のもちあわせているエディティング・モデルを投げ縄のように投げ入れて、そこに『読むモデル』を括って、自分の方に引き上げ、何かを発見していくことなんです。
そして、これを拡張していけば、一冊の本に出会って読書をするということは、大きな歴史が続行してきてくれた『意味の市場』でそのような体験を再現し、再生し、また創造していくということなんですね。本はそのためのパッケージ・メディアです。」
「ですから、一読者の読書も、そうした歴史のなかの読書の歴史に知らず知らず加わっているということになります。さらにいえば、その読書の歴史にちょっとした改変を加えるということでもあるでしょうね。」
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『多読術』中の編集工学に難を感じる方は、松岡さんの既刊書を参考になさると良いかもしれません。
著者は、「読み手」としてだけでなく、「書き手」としても、また、世に本を送り出す「編集者」としてもツワモノである。『多読術』には、まさに、そのようなツワモノである松岡さんならではの読書術が示されている。
ざっくりと要約するなら(換骨奪胎?キチンと知りたい方は、原著に当たってください)・・・
読書に際しては、「書き手(のモデル)」を、また、「編集者」を意識して読書すべし・・・と、要約できそうだ。
その点に関し、著者は次のように言う・・・
「書くのも読むのも『これはコミュニケーションのひとつなんだ』とみなすことです。人々がコミュニケーションするために、書いたり読んだりしているということです。このとき、著者が送り手で、読者が受け手だと考えてはいけません。執筆も読書も『双方向的な相互コミュニケーション』だと見るんです。
「次にそのうえで、著者と読者のあいだには、なんらかの『コミュニケーション・モデルの交換』がおこっているとみなします。それがさっきから言っている『書くモデル』と『読むモデル』のことなのですが、そこには交換ないしは相互乗り入れがあります。正確にいうと、ぼくはそれを『エディティング・モデル』の相互乗り入れだと見ています」
「読書というのは、著者が『書くモデル』をつくったところへ読者は自分のもちあわせているエディティング・モデルを投げ縄のように投げ入れて、そこに『読むモデル』を括って、自分の方に引き上げ、何かを発見していくことなんです。
そして、これを拡張していけば、一冊の本に出会って読書をするということは、大きな歴史が続行してきてくれた『意味の市場』でそのような体験を再現し、再生し、また創造していくということなんですね。本はそのためのパッケージ・メディアです。」
「ですから、一読者の読書も、そうした歴史のなかの読書の歴史に知らず知らず加わっているということになります。さらにいえば、その読書の歴史にちょっとした改変を加えるということでもあるでしょうね。」
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『多読術』中の編集工学に難を感じる方は、松岡さんの既刊書を参考になさると良いかもしれません。