SSブログ

北京故宮『書の名宝展』 [アート・美術関連]

先に記した『ルオー展』はいわばオマケで、本命は、『書の名宝展』を見たくてわざわざ東京に出向いたわけなのだが、結果としては、オマケの『ルオー展』の方がおもしろかった。

榊莫山先生が「ああ、すごい、すごい。」と宣伝していることもあり、期待大であっただけに、「すごい、すごい」と、さほど感じられないことが印象をわるくしたかもしれない。


人気のある展覧会だから当然だといえば当然だが、人がおおぜい出、陳列されているものを見るのはそれはそれはたいへんで、そこは主催者側も心得ているものとみえ、真筆を拡大したパネルを壁にかけて観覧者の便をはかっているのだが、真筆のケースの前にどんと立ち尽くして、比較するというわけでもなく、拡大パネルの方を見ている人がいたりして、そんなところがおもしろかったりした。

実際、真筆を前にして見ると、絵画とはちがって、パネルや図録で見る方が書法のちがいや作家の個性がよくみえる。これはモノトーンの世界ならではのことなのだろう。

ルオー中期の油彩諸作品の絵の具を削りとった面の雲母のきらめきのような色彩の世界を図録に写し取ることは至難というか、あきらめるしかないが、墨の濃淡なら収めることができるし、巨大な紙幅の作品も1ページになんなく収まってしまうからだろう。


そんなわけで、ざっと展示を見てから、椅子に腰掛けて以上のようなことを考えていた・・。


以前、NHKで故宮の宝物がシリーズで放映されたことがある。清の乾隆帝は、「三希堂」という建物を建て、特に自分が大切にしている文物を置いて、楽しんでいたらしいのであるが、その数ある宝物のなかでも特に重視していたもの三つをとって「三希堂」としたと番組で説明されていた。

その三つの品とは、王義之一族の書作品三点(しかし、すべて真筆ではなく摸本。真筆とされるものは王義之を愛した唐の皇帝とともに埋葬されてしまった)。


今回の展示の超目玉は、その王義之の「蘭亭序」だ。

しかし、『蘭亭序』のもっとも真筆に似ているとされる摸本だ。

つまり、ホンモノではないモノ。簡単にいえば、ニセモノだ。

それにも、人が群がり陳列ケースの前を流れているので、後ろからのぞき見るようにしか見ることができなかった。


ホンモノではないもの、似ているとされるもの、いわばニセモノにさえ、これだけの人を群がらせる王義之という書家はただものではないのだろうが、群がらせたのは、歴史なのか、伝統なのか、榊莫山先生なのか、マスコミなのか、人間の価値観というものを考えるとソレもおもしろかった。

おんなじニセモノを見るなら、特大パネルでもいいではないかとソチラをぼんやり眺めて帰ってきた。

NHK 故宮の至宝 第三集 書に込めた心

NHK 故宮の至宝 第三集 書に込めた心

  • 出版社/メーカー: アミューズ・ビデオ
  • メディア: DVD



トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

トラックバック 0