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アメリカの戦争:『写真記録ベトナム戦争』解説1 [写真記録ベトナム戦争]

以下は、石川文洋氏の『写真記録ベトナム戦争』の解説部分からの引用で、筆者は丸山静雄氏による。

《1.南ベトナムのアメリカ兵》という部分の解説で、題は『アメリカの戦争』となっている。

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アメリカは1965年、66年、戦争をエスカレートし、大軍を続々とベトナム南部に送り込んでいたが、サイゴンに上陸したアメリカ兵は真っ先に30ページほどの小冊子を渡された。

小冊子には、「これは新しい種類の戦争である」という標題の下に、「われわれは南ベトナムの民衆と政府を助けるためにやってきた。全東南アジアを共産主義の侵略と弾圧から救うのを助けるために来たのである。それによって、われわれはアメリカ自身の安全保障を強めることになる。この使命はベトナム民衆の支持なしには達成されない。民衆の支持をかちとるためにおこなうことは戦争に勝利することに役立つであろう。民衆を遠ざけるようなことは、われわれの戦争努力を弱めることになるだけであろう。われわれは新しい種類の戦争を戦っているのである」と書かれてあった。

一人一人の兵士は、この小冊子を持って戦場に出た。しかし前線に出たアメリカ兵はいずれも小冊子とは、まさしく正反対の戦いを戦っていた。たとえば民家、学校、病院、工場、水利施設などの非軍事施設を破壊し、子供、婦人、老人、患者などの非戦闘員を仮借なく殺傷し、村落と都市と、それらを結ぶ交通、通信線を徹底的に爆撃した。また枯葉剤で耕作物、並木、森林を焼き払い、機雷を河川、水路、運河、海岸地帯に投下、敷設し、正常な生産活動、通商活動すら一切できないようにしようとした。

ベトナムの国土は南北ベトナムを合わせてもアメリカの28分の1、人口は5分の1に過ぎない。そこにアメリカはピーク時に50余万の歩兵を派遣し(全歩兵の80%、派遣兵力の延べ数は260万)、1400機の戦術戦闘機(戦術空軍総力の32%)、250機のB52戦略爆撃機(戦略爆撃機総数の40%)140隻の軍艦(海軍総力の58%)9隻の空母(原子力空母エンタープライズを含む)を投入した。アメリカの持つ空海軍力の約3分の1が北ベトナム攻撃に充当され、全ベトナムに振り向けられた軍事力はアメリカの第一線戦力のほとんどすべてに近かった。

しかも最新鋭の兵器、爆弾が開発され、パイナップル爆弾1個は半径300メートルの地域に36万個の鉄の小球をまきちらした。テレビ・カメラやレーザー光線で誘導されるスマート爆弾は60センチないし1メートル程度の目標物すら破壊することができたという。破壊力の強化と命中精度の向上によって、まさに史上最大の破壊戦争が展開されたのである。

しかしアメリカは56555人の戦死者と、303654人の負傷者を出し、1400億ドルの戦費を使いはたして敗れた(サイゴン政府軍の戦死者は241000人)。その最後は、われ先にとヘリコプターに飛びのり、あわただしくサイゴンから逃げ去るという惨憺たるものだった。

「新しい戦争」を戦うのだといいながら、最も古い戦争を戦ったところに敗因があった。民衆のために戦うのだといいながら、民衆を敵とし、民衆の権利を否定したことの当然の帰結だった。アメリカはアメリカ国民に対しては、この戦争はアメリカ的生活様式を守るための戦いであるなどと、20余項目をあげて説明し、戦争の正当化を試みたが、実は典型的な帝国主義的、植民地主義的戦争であった。

この帝国主義的、植民地主義的戦争をアメリカは、力を持つものは何でもできる、何をしてもよい、力は正義であるという力の論理に立って戦い、どのような民族であれ、民族には自ら独立し、主権を確立し、独立と主権を主張する権利があるという民族権を否定しようとした。ベトナムは、この民族権を高らかに掲げて戦い、遂に勝利した。そうした意味でこそ、これは新しい戦争だったのである。

写真記録ベトナム戦争

写真記録ベトナム戦争

  • 作者: 石川 文洋
  • 出版社/メーカー: 金曜日
  • 発売日: 2000
  • メディア: -


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