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有馬稲子・三船敏郎『ひまわり娘』(1953年)を見る [ドラマ]

ひまわり娘
https://www.youtube.com/watch?v=Sf6UYetYwEQ

有馬稲子「東宝」初主演映画。

戦後すぐの時期の企業内における女性の立場について考えさせられる。戦争が終わり、男女同権となったハズだが、戦前の意識が引きずられている。女性を「お茶汲み」として露骨に軽んじたひとりの男性社員のために、女性社員が立ち上がる。ストライキが起る。新入社員「ひまわり娘」は、翻弄される。

五大改革指令『女性解放』『婦人解放』
https://xn--mprwb863iczq.com/%e5%a5%b3%e6%80%a7%e8%a7%a3%e6%94%be/

当該映画のなかで三船敏郎が「弁慶」とあだ名されるサラリーマンを演じている。『椿三十郎』などで見るギラギラあぶらぎった印象は変わらない。

しかし、それでも、女性社員たち(新入りの部下「ひまわり娘」も含め)に対し、真率で不器用ながらも敬意をもって接しようと努めているところを好演している。

「蔑視」とまではいかないにせよ、女性を軽視することは、戦後76年になるが、総じて、意識の面で変わっていないのではないだろうか。

最近話題になった名古屋市長の『金メダル』かじり事件も、その「変わっていない」ことを示すものであるように思う。基本的に、表敬訪問した女性より自分の方が「上」であると思っていたのだろう。社会的立場からいっても、年齢から言っても「上」であると思い、性別からいっても「上」と感じていたのだろう。

本来、表敬訪問されたとはいえ、相手の女性アスリートを自分とおなじく一人の人間と思い、自分とは異なる思いや感情をもつ他者として、自他が分けられていたなら、「事件」は起きなかったハズである。自他が分けられず、相手への配慮や敬意に欠けるので「事件」となったのだろう。

自分にとっての善いことは、他者にとっても善いことと思い込むメンタリティーが過ちの元だったように思う。それは男女同権以前の問題である。名古屋市長は、そういうメンタリティーにどっぷり漬かっている人に感じられる。ギラギラあぶらぎった精力的な人は、とかく、そうなりがちだが、市長はその典型と言えるかもしれない。

当該映画といまは地続きのようである。

自分と他者を意識・区別できるのは何歳からか?自他意識って必要?
https://www.hana-mode.com/entry/jita

以下、当方未読

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