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「ガリガリ君」・「ガリ勉」・ゲシュタルト

暑い日がつづいている。

むかしはチリンチリンという音をたてて、自転車にのぼり旗を立てて、キャンデー売りがやってきた。アイスキャンデーを鐘を鳴らしながら売って歩くのだ。キャンデーは、いくらしたろうか。いつの間にか、そういう光景は無くなってしまったし、自分でお金を払ったわけではないので覚えていない。なにしろ60年ほど前の話だ。

今から考えるとたいへん不衛生な仕方で売っていた。箱には、ビニル袋にも入っていないキャンデーが、そのまま入っていて、それをおじさんが取り出して渡してくれた。手から手に渡すスタイルである。もっとも豆腐だって、同じようにして売られていた。自転車のうしろの水をはった箱のなかには豆腐がそのまま入っていて、買う側がどんぶりやらボウルやらをもって出向いていた。ビニルのパックになど入っていなかった。

そういう不衛生な時代の子どもにアトピーやアレルギーは無かったように聞く。たしか、寄生虫で有名になった藤田先生が、抗菌社会の弊害について語るなかで、その点が示されていたように思う。あんまり衛生的になると、人間が軟弱になるらしい。

笑うカイチュウ (講談社文庫)

笑うカイチュウ (講談社文庫)

  • 作者: 藤田紘一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/12/03
  • メディア: Kindle版


ガリガリ君をここのところ食べている。暑いこともあって、例年にない消費量になっている。セブンイレブンのアルバイトさんから聞いたのだが、スーツ姿のサラリーマンで、ガリガリ君を毎日買う人がいるという。毎朝、コンビニに寄っては買う。よっぽど好きなのだろう。もっぱらソーダ味を買っているという。当方も、ソーダ味のをガリガリやっている。

ガリガリ君の秘密 赤城乳業・躍進を支える「言える化」 (日経ビジネス人文庫)

ガリガリ君の秘密 赤城乳業・躍進を支える「言える化」 (日経ビジネス人文庫)

  • 作者: 遠藤 功
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版
  • 発売日: 2019/06/04
  • メディア: 文庫



そういえば、昨日、ハイエナのことを書いた。ハイエナが骨をかじる音を動物園の方は「ガリガリ」と表していた。ほかの動画を見ると、ハイエナのマイブームとして丸太をガリガリやる様子も撮影されている。ハイエナが丸太をガリガリやるのは、腹の足しではないのだから、せまい檻に入れられてのストレス反応かもしれない。もしかすると、スーツ姿のガリガリ君のファンは、自分では腹の足しにするつもりで、実はストレス解消のために食べているのかもしれない。

ブチハイエナ キラさんのマイブーム 大宮公園小動物園
https://www.youtube.com/watch?v=aQJWss0iHwA&t=42s

ガリガリやるには、アゴ(顎)の力がいる。今は、むかしに比べて硬いものを食べなくなった。食べられなくなったと言ったほうがいいかもしれない。それで、最近の人はアゴが細くなってとんがった顔立ちになった。アゴが細くなると歯の並ぶスペースが少なくなって、歯並びが悪くなるように聞く。歯並びが悪くなれば、噛むチカラも弱くなる。もしかすると、ハイエナがガリガリ丸太を齧るのは、顎の力を弱めないように本能的にしているのかもしれない。彼らにとって、骨をかみ砕けなくなれば、そのこと自体が命取りになる。

同じように、知的能力を維持するために、わざと難解な本をガリガリ読むといいのかもしれない。自分の能力の枠内のことをするだけでは、能力は維持できるかもしれないが、伸びはしないだろう。ちょっと、ハイレベルな本に手をだして読む。

もっとも最近の脳科学によると、本当に興味をもって見聞きしたことでないと、その人の骨肉にはなっていかないらしい。単なる知識で終わってしまうらしい。脳科学者の苫米地英人氏は〈「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!〉で次のように書いている。

抽象度を上げて知識を増やすことが重要と言いましたが、しかし知識は増やそうとおもって増やせるものではありません。『知識を増やす』という目的で知識を詰め込んでも、それはゲシュタルトの一部にならないのです。知識がゲシュタルトの一部となるのは、その知識を興味を持って取り込んだときだけです。心から興味を持って知識を得ないと、ゲシュタルトを大きくすることにはならないのです。(・・略・・)では、興味を持って知識を取り込めるのはどういう場合かというと、それは単純に趣味の好きなことに没頭しているときか、『心から望むゴールのために知識を取り込んでいるとき』です

ここでゲシュタルトという難しい言葉が用いられている。著者は、バラバラだった情報がつながり、ジグソーパズルの1ピースが全体のなかでどういう位置を占めるのか、そのもつ意義を悟ることといった意味で用いている。部分と全体の関係が掌握できた状態と言えるかと思う。上記書籍の中では、目も見えず耳も聞こえない(盲聾者である)へレン・ケラーが、"w・a・t・e・r”と指文字で表されるモノと井戸から汲み上げられてきたモノとが同一であることを知ったときの感動と一緒に説明されていた(と思う)。それは、世界と自分とのつながりを発見することと言えるようにも思う。

奇跡の人
https://www.youtube.com/watch?v=PhtdEf4nvIY

知識を生きたものとするためには、学ぶ対象がおのずと没頭してしまうほどに好きなものであること、自分のしたい(成し遂げたい)ことに向かって、ワクワクするような仕方で学んでいることが大切であるようだ。

ただのガリ「ガリ勉」ではダメなようである。ガムシャラにやるだけでは、付け焼刃で終わってしまうらしい。で、あれば、ガリガリやる前に、ガリガリするモノを吟味する必要がある。

それと、自分自身をまずは知っておかなければならないということにもなるだろう。


「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

  • 作者: 苫米地英人
  • 出版社/メーカー: コグニティブリサーチラボ株式会社
  • 発売日: 2014/04/14
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