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「国難突破解散」~元寇~神風~吹いたとしても [政治・雑感なぞ]

安倍首相が言うには、「国難突破解散」だ、そうである。

「国難」とは、古い言葉を持ち出したものだ、と思う。多くの人が「大義なき解散」と呼ぶものを自称したわけである。自称作家とか自称ミュージシャンとか「自称」が付くモノは、あんまり信用が置けないことになっている。首相が自称首相などではなく、本物であることは認めるが、解散の名称は、やはり、客観的に多数の他者から付けられた名称の方が、事実に即しているように思う。

「国難」で、すぐに思い浮かぶのは、古い歌だ。母親から、小学生の頃教えてもらった。50年ほど前になるが、いまだにカラダに入っていて、口をついて出る。と言っても、歌の冒頭だけだ。いつだったか、黒澤明の映画「姿三四郎」を見ていたら、そのなかで主人公が歌っていた。

「四百四州を挙(こぞ)る十万余騎の敵、国難ここに見る弘安四年夏のころ~」と、蒙古による日本侵略「元寇」のことを歌ったものだ。そして、その「国難」に際し、(実際のところどうだったか知らないが)神風が吹いて、蒙古の船は全滅し、神風によって国難を突破し日本は守られた、というわけである。

先の戦争中に子どもたちによってよく歌われた軍歌のひとつでもあるらしい。神風が吹いて元寇に勝利したように、アメリカ相手の戦争にも神風が吹いて勝利がもたらされる、と信じ込まされ歌わされたのではないかと思う。国威発揚の目的で、教科書にも載せられていたような話もある。

こどもの軍歌「元寇」
http://ochikochi.com/works/20150419

そして実際には、神風が吹くことはなく、アメリカに負けた。その後、軍国主義と神道・神話への反感(トラウマ)によって歌われなくなったらしい。きっと、教科書の軍国主義的内容を、民主主義に突然鞍替えした教師の指導によって、墨で塗りつぶしたように、「元寇」の歌も塗り消し、その後、意識から消え去っていったのだろう。

昭和ヒトケタ生まれの母親は、戦火の苦しみを知る人だけに、息子に元歌を教えるだけでなく、替え歌の方も教えてくれたのだろう。それはたしか「四百四州の乞食、ザルもって角に立ち~、オッサン金おくれ、くれないと、パンチくわす~」というものだ。戦に向かう騎士とコジキの落差は大きい。その落差ゆえに、笑いをもよおさせる。父親や兄弟を戦争に駆り出し、銃後の守りにいるその妻や子どもたち国民のハラをへらしたままに放置し、乞食のような惨めな思いをさせて、不合理な戦争を続ける政府への、意識下の自然発露的な揶揄だったのかもしれない。


安倍首相はどこまでも、解散に意味づけをしたいらしい。しかも、国家的な意義を見いだしたいようだ。「ケチな野郎」と思われたくないのであろう。それで、大きく出て、「国難」になるのだろう。しかし、実際のところは、国難ではなく、森友・加計学園による自分が招いた難儀を、この選挙で一挙に吹き飛ばそうというつもりではないのか、と国民の大多数は思っているようだ。自分個人の招いた疑惑を、国家の問題にすりかえた。しかし、疑惑を疑惑のままにしているだけに、大きく出れば出るほど、「ケチな野郎」と思われるにちがいない。

神風が吹いて、森友・加計疑惑を吹き飛ばしてもらいたいところであるのだろう。それを「解散」に期待したのであろう。疑惑を吹き飛ばしてくれるなら、北朝鮮のミサイルでもなんでも利用する。そうして、選挙に勝利できれば、小渕元経産大臣(のドリル証拠隠滅・不祥事隠し・解散逃亡・当選ミソギ)とおなじく、国民は森友・加計問題を忘れてくれる、にちがいない。ソレが首相のハラなのではないか、と国民の多くは思っているにちがいない。

「馬の国」の政治家、佐田さんのお沙汰とオブツ優子さんのおウワサ http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-11-25-1


神様は、そのような不義を働く者たちの味方になってくれるはずがないはずである。

少なくとも、聖書の神様には、受け入れられない。イエス・キリストの弟子(使徒のペテロ)は、次のように言っている。「わたしは,神が不公平な方ではなく, どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります。」(使徒たちの活動10:34)

聖書の神に受け入れられるのに、肌の色や国籍は関係ナイが、「神を恐れ、義を行」っている必要がある。そうでないと、受け入れてもらうことはできない。そして、神はご自分が受け入れない者を助けて「神風」を送ったりはしない。

もっとも、聖書によれば、全世界は「邪悪な者の配下にある」(ヨハネ第一5:19)とあり、この世は、創造者である神(エホバ)ではなく、別の存在の支配下にあることが示されている。エデンの園でアダムとエバをたぶらかした「蛇」の背後にいた存在がソレである。その存在は、「神」であるかのようにふるまい、いまだに人類をたぶらかし誤導するモノとして暗躍していることが聖書には示されている。ちょうど、ヤクザのボスが自ら姿をしめさず下の者たちを操作するように、である。そのボスとは、「悪魔また、サタンと呼ばれ」(啓示・黙示録12:9)る存在だ。

それゆえ、この世(とりわけ政治の世界)が腐敗に満ちていてもおかしくはない、ということになる。



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