死と再生 (日野原重明先生亡くなる) [スピリチュアルな話題]
日野原先生が亡くなった。105歳だという。
107歳まで生きた昇地三郎先生を超えるかと思っていたが・・・
日野原先生で思い浮かぶのは、よど号ハイジャック事件で命拾いした話だ。福岡に飛ぶ飛行機がハイジャックされ、乗客乗員が人質になる。先生もその中にいて、解放された時のことを、次のように語っている。
幸い、私は無事に帰還できました。解放されて韓国の金浦空港の土を靴底で踏んだとき、感謝の念とともに「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と感じました。還暦を目前にして、そう思えたことが私の人生の後半を決めてくれたのです。
まさかの「よど号事件」遭遇で得た、人生後半戦への決意 -聖路加国際病院理事長 日野原重明氏
PRESIDENT 2011年12月5日号
http://president.jp/articles/-/9320
ハイジャックに遭って死ぬはずのものが命拾いをし、解放されて死から命へ移行した。死から蘇えるかのような経験をした。いわば、ユング心理学でいうところの「死と再生」の儀式を経験したといえる。千日回峰行の最後の「堂入り」で、「死と再生」の体験をしたのち、修行者は人格が変わるという。『行とは何か』では、満行した方のエゴグラムの検査結果がでていた。父親的母親的要素が強くなり、宗教家として望ましい成長を遂げたことが示されていたと思う。
日野原先生のその後の生き方にも、それは自ずと反映されて、医師としての活動の中に、より宗教家的側面がつよく現れるようになっていったにちがいない。
ちなみに、よど号ハイジャック事件のとき、人質を解放のための身代わりとなった方がいる。山村新治郎運輸政務次官だ。聖書的観点でいくなら、人を死から解放するため、死の原因である罪を取り除くための代価である「贖(あがな)い」を神(創造者)に支払う役回りを果たしたイエス・キリストに相当するといえる。
イエスが地上にいたとき、死人を復活させたという記述が『福音書』にある。奇跡である。それは、イエスが将来「神の王国」の王として統治するとき大々的になされることを予告するものであり、イエスがたしかに「神の子」として創造者である神の是認と後ろ盾を得ていることを証明するものだった。
(モーセが、エジプトでの奴隷状態にあったイスラエルの民を救出するために、神から遣わされたときに、彼のおこなう奇跡もやはり、神の是認と後ろ盾を得ていることを証明するものとなった。)
当時、イエスのおこなった奇跡によって復活した人たちは、しばらくして亡くなったが、近い将来(「神の王国」が全地を支配するようになった後)、これまで亡くなってきた人々は復活して、エデン(喜び)の園のようになった地球上での生活を永遠に楽しむことができるようになると聖書は教えている。
日野原先生のもそうした一人となることだろう。
『僕は頑固な子どもだった』日野原 重明著 株式会社ハルメク
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-12-03
107歳まで生きた昇地三郎先生を超えるかと思っていたが・・・
日野原先生で思い浮かぶのは、よど号ハイジャック事件で命拾いした話だ。福岡に飛ぶ飛行機がハイジャックされ、乗客乗員が人質になる。先生もその中にいて、解放された時のことを、次のように語っている。
幸い、私は無事に帰還できました。解放されて韓国の金浦空港の土を靴底で踏んだとき、感謝の念とともに「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と感じました。還暦を目前にして、そう思えたことが私の人生の後半を決めてくれたのです。
まさかの「よど号事件」遭遇で得た、人生後半戦への決意 -聖路加国際病院理事長 日野原重明氏
PRESIDENT 2011年12月5日号
http://president.jp/articles/-/9320
ハイジャックに遭って死ぬはずのものが命拾いをし、解放されて死から命へ移行した。死から蘇えるかのような経験をした。いわば、ユング心理学でいうところの「死と再生」の儀式を経験したといえる。千日回峰行の最後の「堂入り」で、「死と再生」の体験をしたのち、修行者は人格が変わるという。『行とは何か』では、満行した方のエゴグラムの検査結果がでていた。父親的母親的要素が強くなり、宗教家として望ましい成長を遂げたことが示されていたと思う。
日野原先生のその後の生き方にも、それは自ずと反映されて、医師としての活動の中に、より宗教家的側面がつよく現れるようになっていったにちがいない。
ちなみに、よど号ハイジャック事件のとき、人質を解放のための身代わりとなった方がいる。山村新治郎運輸政務次官だ。聖書的観点でいくなら、人を死から解放するため、死の原因である罪を取り除くための代価である「贖(あがな)い」を神(創造者)に支払う役回りを果たしたイエス・キリストに相当するといえる。
イエスが地上にいたとき、死人を復活させたという記述が『福音書』にある。奇跡である。それは、イエスが将来「神の王国」の王として統治するとき大々的になされることを予告するものであり、イエスがたしかに「神の子」として創造者である神の是認と後ろ盾を得ていることを証明するものだった。
(モーセが、エジプトでの奴隷状態にあったイスラエルの民を救出するために、神から遣わされたときに、彼のおこなう奇跡もやはり、神の是認と後ろ盾を得ていることを証明するものとなった。)
当時、イエスのおこなった奇跡によって復活した人たちは、しばらくして亡くなったが、近い将来(「神の王国」が全地を支配するようになった後)、これまで亡くなってきた人々は復活して、エデン(喜び)の園のようになった地球上での生活を永遠に楽しむことができるようになると聖書は教えている。
日野原先生のもそうした一人となることだろう。
『僕は頑固な子どもだった』日野原 重明著 株式会社ハルメク
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-12-03