カミツキガメは食えるらしい [自然に親しむ]
NHKニュースに “生態系に大きな影響”カミツキガメ大規模捕獲作業 千葉 印旛沼 4月25日 12時40分。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170425/k10010960441000.html
ところで、カミツキガメは食材になるのだろうか?
人間は、なんでも食う。食物連鎖のテッペンにいる。小笠原では海がめを食うというし、最近読んだサバイバル登山家の服部文祥『獲物山』には、家族で「ミドリカメの鍋」を食している場面が出ている。
そこには、次のようにある。
「5日ほど泥抜きし、丁寧に解体して、内蔵を入れないで作ったカメの濃厚スープ鍋。カメ以外の具はシンプルな味を壊すので入れていない。家族が黙々と食べているのは、苦行だからではなく、うまいからである」。
やはり、カメはうまいようである。
うちにも、カメがいる。クサガメのカメ吉。とてもかわいい。20年もつきあっている。オスなので甲羅の長さが20cm程度だが、知り合いの飼っているクサガメのメスは30cmくらいある。クサガメも食べようと思えば食べられるのだろうが、とてもそういう気にはなれない。
ネットはたいへん便利で、今、調べたら、カミツキガメやワニガメを解体して食した方の記事が出ている。アタマだけで1kgあるという。から揚げ、酢(豚ではなく)亀などにして食べての評価は、高い。
そういわれても、とても、当方には食べられそうもないのだが、命と引き換えということになったら、やはり食べざるを得ないのではないかと思う。
「渇(かつ)えさん」がゆく
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-10
ところで、人は、命とナニを引き換えるのだろう。命とナニを引き換えているのだろう。
服部文祥著『獲物山』のおわりの部分にある「サバイバル登山家の半分は野生からできている 服部家の食卓、近所の食材編」に「ミドリカメ」を家族で黙々と食べている様子が見開きページ全体をおおっているのだが、そこに、、次のように記されている。(以下は、引用。側注は省略)。
************
〈人間はいったい野生なのか、政府好みの家畜なのか〉
あなたはあなたが食べたものに他ならない。口に入れたもの以外から、自分の体ができるわけはない。このあたりまえすぎる英語圏の言い回しを、我々はどれだけ意識しているだろう。少なくとも数十年前までは、ほとんどの人がまったく意識していなかったはずだ。自然環境の一部である自分を維持していく。そんなことを、いちいち意識する人はいない(もしくは戦後の食糧難でそれどころではなかった)。
安価だからと中国産野菜を食べればあなたは中国産野菜になる。安売りの輸入肉を食べればあなたは輸入肉になる。農薬をたっぷり使った穀物を食べればエネルギーを得ながら毒もとりいれる。
セレブのスローライフを提案しようというのではない。ただ我々が安いものを選べば選ぶほど、売る側は安(くて悪)いものを仕入れて売る。比較的値の張るまともな食品は売れず、まともなものを作る人は減る。安い食べ物が体に良いわけはなく、食べ続けて病気になる。節約した以上の医療費がかかる。経済を回したい政府は、そういう消費バカが大好きである。
都市型文明を続ける我々がいったい「野生」なのか「家畜」なのかと考えたとき、残念ながら「食」に関しては「家畜である」と言わざるを得ない。家畜の「食」とは、他人から与えられるもの、もしくは、配合飼料である。
人は食料品店で自分の好きな物を「選んでいる」かもしれない。実際は、ただ買わされているだけだ。少なくとも、食品を手に入れるのに知識や技量や労力は必要ない。しかもその食品のもとをたどれば、ほとんどが配合飼料か化学的に固定された窒素である。
いったい我々はどうすれば家畜から脱することができるのか。答えは簡単だ。自然界から自分で食料をとってくればいい。自分の食べる物を自分で調達する。それだけで人は本来の姿に戻ることができる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170425/k10010960441000.html
ところで、カミツキガメは食材になるのだろうか?
人間は、なんでも食う。食物連鎖のテッペンにいる。小笠原では海がめを食うというし、最近読んだサバイバル登山家の服部文祥『獲物山』には、家族で「ミドリカメの鍋」を食している場面が出ている。
そこには、次のようにある。
「5日ほど泥抜きし、丁寧に解体して、内蔵を入れないで作ったカメの濃厚スープ鍋。カメ以外の具はシンプルな味を壊すので入れていない。家族が黙々と食べているのは、苦行だからではなく、うまいからである」。
やはり、カメはうまいようである。
うちにも、カメがいる。クサガメのカメ吉。とてもかわいい。20年もつきあっている。オスなので甲羅の長さが20cm程度だが、知り合いの飼っているクサガメのメスは30cmくらいある。クサガメも食べようと思えば食べられるのだろうが、とてもそういう気にはなれない。
ネットはたいへん便利で、今、調べたら、カミツキガメやワニガメを解体して食した方の記事が出ている。アタマだけで1kgあるという。から揚げ、酢(豚ではなく)亀などにして食べての評価は、高い。
そういわれても、とても、当方には食べられそうもないのだが、命と引き換えということになったら、やはり食べざるを得ないのではないかと思う。
「渇(かつ)えさん」がゆく
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-10
ところで、人は、命とナニを引き換えるのだろう。命とナニを引き換えているのだろう。
服部文祥著『獲物山』のおわりの部分にある「サバイバル登山家の半分は野生からできている 服部家の食卓、近所の食材編」に「ミドリカメ」を家族で黙々と食べている様子が見開きページ全体をおおっているのだが、そこに、、次のように記されている。(以下は、引用。側注は省略)。
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〈人間はいったい野生なのか、政府好みの家畜なのか〉
あなたはあなたが食べたものに他ならない。口に入れたもの以外から、自分の体ができるわけはない。このあたりまえすぎる英語圏の言い回しを、我々はどれだけ意識しているだろう。少なくとも数十年前までは、ほとんどの人がまったく意識していなかったはずだ。自然環境の一部である自分を維持していく。そんなことを、いちいち意識する人はいない(もしくは戦後の食糧難でそれどころではなかった)。
安価だからと中国産野菜を食べればあなたは中国産野菜になる。安売りの輸入肉を食べればあなたは輸入肉になる。農薬をたっぷり使った穀物を食べればエネルギーを得ながら毒もとりいれる。
セレブのスローライフを提案しようというのではない。ただ我々が安いものを選べば選ぶほど、売る側は安(くて悪)いものを仕入れて売る。比較的値の張るまともな食品は売れず、まともなものを作る人は減る。安い食べ物が体に良いわけはなく、食べ続けて病気になる。節約した以上の医療費がかかる。経済を回したい政府は、そういう消費バカが大好きである。
都市型文明を続ける我々がいったい「野生」なのか「家畜」なのかと考えたとき、残念ながら「食」に関しては「家畜である」と言わざるを得ない。家畜の「食」とは、他人から与えられるもの、もしくは、配合飼料である。
人は食料品店で自分の好きな物を「選んでいる」かもしれない。実際は、ただ買わされているだけだ。少なくとも、食品を手に入れるのに知識や技量や労力は必要ない。しかもその食品のもとをたどれば、ほとんどが配合飼料か化学的に固定された窒素である。
いったい我々はどうすれば家畜から脱することができるのか。答えは簡単だ。自然界から自分で食料をとってくればいい。自分の食べる物を自分で調達する。それだけで人は本来の姿に戻ることができる。