SSブログ

「書く」ということ・・村上春樹 チャンドラー、松本清張 吉川英次、アラン、ヴェイユ、スタンダール

「森友学園」の園長が国会に呼ばれるということだが、「第2の森友」加計学園の方はどうなったかと「第2の森友学園」で検索すると、内田樹が自身のブログ(『内田樹の研究室』日時: 2017年02月28日 13:08)でフランスの新聞『ル・モンド』の2月27日付け記事を紹介している。

それで、思いがソチラに行ってしまった。簡単に、人の関心、思いは逸らされる。手品と同じである。そうしたスキに騙される・・・。

ル・モンドの記事から(森友学園問題)
http://blog.tatsuru.com/2017/02/28_1308.php

そこでは「森本学園」を、「日本で最初で唯一の神道小学校」と紹介しているらしい。フランスの新聞から、学園の正体を知らされた感じだ。


『ル・モンド』から世界を読む 2001-2016

『ル・モンド』から世界を読む 2001-2016

  • 作者: 加藤 晴久
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2016/08/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



その後、ほかにどんなことを内田が記しているのかと、見ると、村上春樹のことを書いている。

2017.03.01
境界線と死者たちと狐のこと
http://blog.tatsuru.com/2017/03/01_1404.php

目に留まったのは次の点だ。

村上春樹は日課的に小説を書いている。これはエッセイやインタビューで、本人が繰り返し証言していることである。鉱夫が穴を掘るように、作家は毎日小説制作の現場に「出勤」し、そこで一定時間、穴を掘る。金脈を探す鉱夫と同じように。日々穴は掘った分だけ深くなるけれど、鉱脈にはめったに堀り当たらない。何十日も掘り続けたが、何も出なかったということもたぶんあるのだろう。でも、いつか鉱脈に当たると信じて、作家は掘り続ける。

村上はこの態度についてはレイモンド・チャンドラーの執筆姿勢を範としていると述べたことがある。チャンドラーは毎日決まった時間タイプライターに向かった。彼が自分に課したルールはそこでは「書く」以外のことをしてはいけないということである。本を読んだり手紙を書いたりしてはいけない。書くことが思いつかなかったら黙って座っている。決められた時間が来たら、どれほど「乗って」いても、筆を擱いて、その日の仕事は終わりにする。粛々と聖務日課を果たすよう執筆する。

それについて村上自身はこう書いている。

「生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力する必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。」(『走ることについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2007年、64-65頁)》 


これに類することは、松本清張も言っていたらしい。『ラジオアーカイブス』で、大村彦次郎さんが話していた。ツクエの前にどれほどいられるか、忍耐勝負であるように言っていたという。同じく『・・・アーカイブス』で、吉川英治を扱った際、吉川もそう言っていたので、司会者の宇田川さんも、(吉川と)同じことを言っているのですねと言っていたように覚えている。

NHKラジオアーカイブス「広津和郎」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-12-10

ちなみに、アランやその弟子のシモーヌ・ヴェイユも、同じようなことを肝に銘じて執筆していたようだ。それはスタンダールから学んだものであるということだから、ここに紹介しただけで、7人が同じようなことを言い、実践していたことになる。もっとも、アランの指導法は、ちょっと厳しい。弟子に厳しいだけでなく、自分にも厳しかったようだ。以下は、『東ゆみこのウェブサイト』(アランとシモーヌ・ヴェイユの思考法)から抜粋。

「スタンダールにならって少なくとも日に二時間はものを書くように。また、書いたものを消したり、訂正したりしないように」。

なぜなら、「『書く』という作業は、思考を強い、そして、訂正せずに文章をつづるという訓練は、思考の明快な流れを持続させて行く努力を要求する」から。

この教えを忠実に守った結果、ヴェイユは、「すべてにぬきんでたスピノザの注解」(アランによるコメント)をなしとげ、「過酷な工場生活のさ中にも、頭痛にうちひしがれているあいだにも」「ペンをとって自分の思索を紙上に書きとめるという作業を中止しなかった」ということです。

ちなみに、ヴェイユの師であるアランの『プロポ』(みすず書房)は、「二枚の便箋に、訂正なしで一気呵成に」、30年にわたって書き続けられたものだという解説が、みすず書房のホームページ上にありました。

どうも・・、「書く」ということは、石の上にも三年のツクエの前の忍耐勝負ということに尽きるらしい。体力がないと到底できそうもない。


2016/08/10
アランとシモーヌ・ヴェイユの思考法(東ゆみこのウェブサイト)
http://mythology.tea-nifty.com/higashiyumiko/2016/08/index.html#entry-85702353


シモーヌ・ヴェイユ―その極限の愛の思想 (1968年) (講談社現代新書)

シモーヌ・ヴェイユ―その極限の愛の思想 (1968年) (講談社現代新書)

  • 作者: 田辺 保
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1968
  • メディア: 新書



戯作三昧

戯作三昧

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/27
  • メディア: Kindle版



トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

トラックバック 1