「村山談話」をウワガキして、結局「安倍の、安倍による、安倍のための談話」 [政治・雑感なぞ]
発表された「戦後70年談話」についての論評がかまびすしい。総じて、不評だ。そもそも発表する必要がなかったという話もある。
毎日新聞(8/15)社説によると、戦後60年の「小泉談話」を聞いて、安倍晋三幹事長代理(当時)は、「『村山談話のコピペ(複写と貼り付け)ではないか』と周囲に不満を漏らした」そうである。
このたびの談話も、長いばかりで、内容としては、村山談話を踏襲している。小泉談話が「コピペ」なら、安倍談話は「村山談話のウワガキ」といったところだろう。
「戦後70年談話」をめぐるアレコレで、90歳をこえる村山富一翁は、取材に引っ張り出されたりなど、なかなかタイヘンだった、と聞く。「村山談話」の発話の主であるということで、いやおうなく世人の注目を集めざるをえなくなってしまったわけである。頼みもしないのに「時の人」になってしまった。
そうしたナリユキを考えると、このたびの「安倍談話」は、要するに、「村山談話」をウワガキして、これから先々、「安倍談話」として、自分に注目を集めたいという、ただソレだけの、いわゆる「功名心」に依るものではないかと疑われもする。村山富一翁同様、安倍晋三翁として、政界引退したのちも引き合いに出してもらいたいというハラなのかもしれない。
実際のところ、他人の心はわからないので、なんとも言えないが、それでも、木村幹神戸大学院教授が述べるとおり、結果からいって、つまるところ、「安倍の、安倍による、安倍のための談話」なったということではないか・・・
私はそもそも出す必要はなかったと思う。出すなら良くも悪くも日本政府や世論が考えていることを国際社会に知ってもらうのが一番重要だ。村山談話には語りかける相手がいた。誰に何を伝えたいかを明確にしないと、「首相の、首相による、首相のための談話」になってしまう。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-08-10-1
「安倍談話」は、在日外国人にとっても不満の残るものであったと報じられている。ソレを読みながら、漠然とではあるが、山岡鉄舟のひ孫で、東京裁判のときに、広田弘毅を弁護したという「ジョージ山岡」を思った。アメリカで生れ育った J・山岡は、父祖の国である日本に渡って、焼け野原のTokyoを見、母国アメリカと敵国となった日本とのハザマで、敗者となった日本人の弁護にあづかった。彼の視点から見たら、このたびの談話はどのように聞こえるだろうかと思ったのだ。
ジョージ山岡は、東京裁判の法廷で、自らひとことの言い訳もすることなく広田元首相が戦争犯罪人として散っていくのを弁護人として知る人物である。勝海舟が功名心から「江戸無血開城」の功績を奪うのを黙認し、また、落語家三遊亭円朝にハラからの話をする方法を教えた山岡鉄舟を曽祖父にもつ人物である。
その山岡鉄舟の建てた寺:全生庵に安倍首相は参禅すると聞く。「戦後70年談話」は、本来、戦後の70年を総括するわけだから、すくなくとも、当時を知る、村山富一翁程度の年齢と経験の持ち主が、ハラから話すべきことであるように思う。そうしてはじめて説得力をもつように思う。戦争を知らない若い官僚が、あちこちの批判をかいくぐる意図をもって耳に心地よく作文したものを、ただ口から先だけで、へらへらとシャベルべき筋合いのものではない。円朝が、鉄舟から、鉄舟が滴水和尚から受けたように、ハラから話す方法を、首相も学ぶといい。そうすれば、先々、「安倍談話の主は『口とハラのチガウ奴』」などという評価は、金輪際受けないハズだ。
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安倍首相の師匠筋にあたる山岡鉄舟のこと
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-19
山岡鉄舟の師匠:滴水のこと(水上勉「骨壷のはなし」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20
ジョージ山岡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E5%B1%B1%E5%B2%A1
毎日新聞(8/15)社説によると、戦後60年の「小泉談話」を聞いて、安倍晋三幹事長代理(当時)は、「『村山談話のコピペ(複写と貼り付け)ではないか』と周囲に不満を漏らした」そうである。
このたびの談話も、長いばかりで、内容としては、村山談話を踏襲している。小泉談話が「コピペ」なら、安倍談話は「村山談話のウワガキ」といったところだろう。
「戦後70年談話」をめぐるアレコレで、90歳をこえる村山富一翁は、取材に引っ張り出されたりなど、なかなかタイヘンだった、と聞く。「村山談話」の発話の主であるということで、いやおうなく世人の注目を集めざるをえなくなってしまったわけである。頼みもしないのに「時の人」になってしまった。
そうしたナリユキを考えると、このたびの「安倍談話」は、要するに、「村山談話」をウワガキして、これから先々、「安倍談話」として、自分に注目を集めたいという、ただソレだけの、いわゆる「功名心」に依るものではないかと疑われもする。村山富一翁同様、安倍晋三翁として、政界引退したのちも引き合いに出してもらいたいというハラなのかもしれない。
実際のところ、他人の心はわからないので、なんとも言えないが、それでも、木村幹神戸大学院教授が述べるとおり、結果からいって、つまるところ、「安倍の、安倍による、安倍のための談話」なったということではないか・・・
私はそもそも出す必要はなかったと思う。出すなら良くも悪くも日本政府や世論が考えていることを国際社会に知ってもらうのが一番重要だ。村山談話には語りかける相手がいた。誰に何を伝えたいかを明確にしないと、「首相の、首相による、首相のための談話」になってしまう。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-08-10-1
「安倍談話」は、在日外国人にとっても不満の残るものであったと報じられている。ソレを読みながら、漠然とではあるが、山岡鉄舟のひ孫で、東京裁判のときに、広田弘毅を弁護したという「ジョージ山岡」を思った。アメリカで生れ育った J・山岡は、父祖の国である日本に渡って、焼け野原のTokyoを見、母国アメリカと敵国となった日本とのハザマで、敗者となった日本人の弁護にあづかった。彼の視点から見たら、このたびの談話はどのように聞こえるだろうかと思ったのだ。
ジョージ山岡は、東京裁判の法廷で、自らひとことの言い訳もすることなく広田元首相が戦争犯罪人として散っていくのを弁護人として知る人物である。勝海舟が功名心から「江戸無血開城」の功績を奪うのを黙認し、また、落語家三遊亭円朝にハラからの話をする方法を教えた山岡鉄舟を曽祖父にもつ人物である。
その山岡鉄舟の建てた寺:全生庵に安倍首相は参禅すると聞く。「戦後70年談話」は、本来、戦後の70年を総括するわけだから、すくなくとも、当時を知る、村山富一翁程度の年齢と経験の持ち主が、ハラから話すべきことであるように思う。そうしてはじめて説得力をもつように思う。戦争を知らない若い官僚が、あちこちの批判をかいくぐる意図をもって耳に心地よく作文したものを、ただ口から先だけで、へらへらとシャベルべき筋合いのものではない。円朝が、鉄舟から、鉄舟が滴水和尚から受けたように、ハラから話す方法を、首相も学ぶといい。そうすれば、先々、「安倍談話の主は『口とハラのチガウ奴』」などという評価は、金輪際受けないハズだ。
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安倍首相の師匠筋にあたる山岡鉄舟のこと
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-19
山岡鉄舟の師匠:滴水のこと(水上勉「骨壷のはなし」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20
ジョージ山岡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E5%B1%B1%E5%B2%A1