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沖縄のお寒い話(コピペ首相とカンボー長官による) [政治・雑感なぞ]

毎日新聞に、『米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沖への移設問題のこと』が取り上げられた。

まあ、それはここのところずっと話題になっていることだから、さして驚きもしないで、海面を遊泳するジュゴンのようにのほほんとしていたのだが、そのことそれ自体ではなく、菅義偉官房長官の発言に「暫(しばらく)!」という気持ちになった。

〈(沖縄)県知事選(30日告示、11月16日投開票)を前に菅義偉カンボー長官は「過去のもの」と切り捨て、争点にならないと強調した〉ということである。

その記事を見て、そのことでブログ記事を更新しようと思っているところに、日経新聞(10・4)に安倍晋三首相「コピペ答弁では納得できない」という社説が出た。そこでは、「今国会での首相答弁が所信表明演説をなぞっただけのことが少なくない。内閣改造直後とあり『安全運転』をこころがけているのだろう。」「この夏、広島市での原爆死没者慰霊式・平和祈念式などでの首相の発言が前年と変わっていないとの『コピペ』批判があった。同じ言い回しをしていれば失言もないし、無難ではあるが、首相の本音はみえてこない」と、記されてある。

要するに『安全運転』を図っているのだろうが、当方には、「おしゃべり人形」を想起させられる。おしゃべりはするのだが、決まった言葉をしか話さない。ボタンを押すと録音されている言葉が再生する人形だ。こどもも最初はオモシロガルだろうが、それでも、くりかえし同じ言葉を聞かされるなら、嫌気と怒りも生じるだろう。ちょうど、M・エンデの『モモ』が「おしゃべり人形」のビビガールを投げ捨てたようにである。

日経社説では、「アベノミクスの先行きと消費税再増税を予定どおり実施するのかどうか」を問われた時の首相答弁に焦点が当てられている。論者は「本音を言え。なぜ(アベノミクスの先行きが明るいと)そう思うのか国民に納得させろ」と、迫っている。

その社説からは外れるが、今国会の論戦をたまたまラジオで耳にしたとき、耳に残った首相の言葉がある。「日本は法治国家ですから、法律にしたがって・・・」という言葉だ。集団的自衛権の閣議決定のことでか、普天間のことでか、忘れたが、その言い回しだけは耳に残って、「黄門様じゃあるまいし、みなを黙らせる印籠の出しどころは心得ている・・」とイヤな感じがした。

菅義偉カンボー長官の米軍飛行場辺野古移設は「過去の問題」という発言も、仲井真知事との間で承認を得て、民主的な手続きは経ているのであるのであるからして、辺野古移設はすでに、その必要十分条件を備えた案件であると言いたいのだろう。しかし、沖縄の人々の思いはどうかというと、スコットランド状態である。

首相にしろ、カンボー長官にしろ、そうした発言から感じられるのは、「血の通った人間」ではなく、

この案件は、法律に立脚しています。民主主義の手続きを経ています。ですから、もうすでに問題は解決済みです・・・

を繰り返す「おしゃべり人形」である。

たいへんお寒い話である。

・・・などと、書いてきて思い出した人がいる。知り合いではない。もう10年以上も前に放映されたNHK「プロジェクトX」で瀬戸大橋建設の技術者としてクローズアップされた杉田秀夫という人物のことだ。建設の理解を得るために500回以上の説明会を開き、地元の漁師たちと腹を割って話し合ったという。

それに対し、菅義偉カンボー長官は、ヘリコプターで、5分ほど現場上空を飛んだだけのようである。その時のことが、毎日新聞の記事には次のように記されている。

「9月17日、菅官房長官がヘリコプターで視察した。「下界」で座り込みをしていた住民たちに聞くと、口々に「菅さん? いつ来ていつ帰ったか、分からないぐらいさ。ヘリの音がして『ああ、来たのかねえ』と思ったのも一瞬。すぐ消えた」「空から見て、いったい何が分かるのかね。地べたを歩いて初めて、海を埋めてここに基地造っていいか悪いか、分かるんさ」。琉球新報によると視察時間は5分、らしい。」

こんなことで地元の人々のの気持ちに迫れるだろうか。理解を得られるだろうか。

こんな手続きのみで「民主主義」を強行するつもりだろうか。

そのようにして、辺野古を、ジュゴンの墓場とし、

「民主主義の墓場」とするつもりだろうか。


以下、ユーチューブNHK「プロジェクトX」平成13年放送
私が惚れた男「杉田秀夫」①
http://www.youtube.com/watch?v=a_bkV2FeyVQ

「つづく」部分では、沖縄自民党の長老格で、自民党を除名された方の談話


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「あまりに県民をバカにした発言です。僕はこのままではもう沖縄は独立するんじゃないかと。少なくともそういう方向に県民が向かっていることは間違いない」

 過激な革新系ではない。沖縄自民党の長老格が実に暗い声でそうつぶやくのだ。那覇市の隣、南風原(はえばる)町。仲里(なかざと)利信さん(77)は県議会議長や党県連顧問を務めた沖縄保守政界の重鎮である。8歳で経験した沖縄戦。本島北部の壕(ごう)で日本軍に「毒入りおにぎり」を渡され自決を迫られ、壕から逃避中には弟を栄養失調で失った経験がある。

 「県民にとって基地ほど重いものはない。本土政府が何と言おうと、各種の世論調査で県民の7割が辺野古移設に反対しているんですよ。それを『過去の問題だ』という。こたえましたよ、精神的に。我々の民意など関係ない、ということですな。ならば我々もあなた方の都合など関係ない、沖縄のことは沖縄で決める。そう思うのは自然でしょう」。基地問題の資料がうずたかい応接間で、仲里さんの声が高くなった。

もともと辺野古移設には賛成だった。政府が移設候補地を辺野古としたのは1996年、橋本龍太郎内閣の時だ。市街地にある普天間飛行場は最も危険で、移設は急務だと感じた。わだかまりはあったが、他の選択肢もなかった。当時の橋本首相や梶山静六官房長官、後を継いだ小渕恵三首相や野中広務官房長官が繰り返し沖縄を訪れ、「ヘリ視察」はおろか、現場を歩いて党県連幹部や名護市長に頭を下げる姿が印象に残った。

 何より決め手となったのは「辺野古基地の軍民共同利用」「米軍の基地使用期限は15年間」という方針だった。「移設に賛成したのは、豊かとは言えない名護市など北部の経済振興に、返還後の基地を活用するためです。それなのに……」。やがて方針は立ち消え、辺野古には「強襲揚陸艦が接岸可能」「2本の滑走路」など、普天間以上の基地とする計画が次々に明らかになった。しかも米軍には辺野古を返還する意思はない。「結局、自然を壊して新基地を一つ、沖縄に押し付けるだけか、と裏切られた思いでした」

 2012年の衆院選で、沖縄選出の自民党国会議員4人はいずれも「県外移設」を掲げたが、後に公約を撤回した。昨年末には県外移設を訴えていた仲井真氏までも辺野古移設に転じた。経緯を巡り、今もさまざまなうわさが飛び交う。

 仲里さんは公約撤回を批判して党顧問をやめ、さらに今年1月の名護市長選で党方針に反して稲嶺市長を支援し、自民党を除名された。「沖縄が基地を引き受けているから日本の防衛費は今の水準で済んでいる。本来なら毎年十何兆円もかかるでしょう。それを何だ。現実に座り込みをしている住民がいるのに『過去の問題』? 本土の皆さんは分からんだろうが『これ以上、本土に都合良く利用されてたまるか』というぐらい、県民は怒っているんです」

以上、
特集ワイド:続報真相 米軍飛行場辺野古移設 菅さん、これでも「過去の問題」?
毎日新聞 2014年10月03日 東京夕刊
からの抜粋
http://mainichi.jp/shimen/news/20141003dde012010002000c.html

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