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浜矩子の教養:経済コラム新連載初回 [ニュース・社会]

浜矩子の新連載経済コラム「危機の真相」がはじまった。(毎日新聞4・16)

その初回、浜矩子の教養に感じいった。よく国会の質問・答弁に際し、議員がなにか教養らしきものをもちだすと、「あした質問するから用意しろ」と秘書につくらせたかのようなウワスベリな話題で、〈付け焼刃〉であることマルダシに思えるのだが、浜センセはそんな感じがしない。しかも、世界経済を論じるにあたってもちだした話題が岡本綺堂である。おまけに、「蛇精」という作品。ウワバミ退治のはなし。当方は知らないが、怪談のたぐいではなかろうか。

ウワバミ退治の名人「蛇吉」は、中央銀行。対する、ウワバミは「財政危機」と、位置付けて論じている。蛇吉の蛇退治の手法は2つあるが、それでもダメな場合には最後の秘策がある。しかし、それを用いると命を失う危険があるのだという。

もっぱら、EU17カ国でひとり奮闘する「蛇吉」について論じているが、「アメリカでも、日本でも同じドラマが土壇場を迎えているのである」と、ある。

「中央銀行という名の蛇吉の本源的な役割は、通貨価値の番人たることである。一国の通貨の価値を最終的に決めるのは、その通貨への人々の信任だ。その通貨に支払い手段として、債務弁済手段として、どれだけの価値を人々が見いだすか。お互いにどこまで、その通貨を安心してやり取りできるか。その安心感の度合いを最終的に決めるのが、通貨の番人たちの力量と健全性だ」

その通貨の番人蛇吉が、土壇場で、第3の、最期の秘策に走りつつあるという。(国債の買い取り枠の拡大、産業金融まがいの政策)。股引をはずし、一糸まとわぬ姿で、呪文を唱え、手にした股引を引き裂く。と、ウワバミも二つに裂けて死に絶える。一件落着、蛇吉は救世主とあがめられるが、その時、彼は力尽きどうと倒れ、神通力は失せ、相打ちとなって姿を消す・・のだそうだ。

最後に、浜はこうまとめる。

「いまや、多くの蛇吉中央銀行たちが、股引一丁状態に追い込まれている。体を張って、財政恐慌ウワバミと対峙している。次の展開を思えば、眠れぬ日々が続く。」

(上記抜粋引用記事の表題は〈世界ウワバミ退治 最終幕〉)

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あまり大きな声では言えないのだが・・・、

持ち出された話題が怪談なだけに、コラムの横にでている浜教授の顔写真が、「砂かけのオババ」に見えてくる。

オババの眼つぶしの砂で、見えるものが見えなくなり、見えないものが見えるようになる・・・。

もしかして、浜矩子は、“ホンモノの”砂かけのオババかもしれない。


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因みに、日経ヴェリタス(4・8~18日 第213号)は、国債を特集している。

見出し、リード部分を引用すると・・・

国債過剰症候群、増え続ける銀行保有、埋め込まれた爆弾

安全神話に忍び寄るリスク

国内金融機関が持つ日本国債は発行額の66%、604兆円にのぼる。銀行には膨れあがる残高に警戒感も出てきたが、なぜここまで買いつづけてきたのか。背景には融資の低迷や自己資本比率規制があるが、前提は永遠に続くわけではない。じわり進行する超高齢化、経常赤字の懸念が、安全神話を脅かし始めている。

不透明感増す「買い支え余力」
格下げ・ルール改正で保有見直しの恐れ
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