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オバマ期待がハズレル時 [政治・雑感なぞ]

むかし、駄菓子屋で、クジが売られていた。50枚ほどが一束になったクジは、ナメルと文字が出てくる。文字は「アタリ」と「スカ」の二種のみで、ちょうど「あぶり出し」のようにそれらの文字がナメルと現われるのである。

それにしても衛生面でよく苦情が出なかったと感心する。頃合からいくと昭和30年代で、その頃は、洟をたらした子どもらの元気な姿が路上に見られ、コールタールを塗布された木製の電柱からは鼻をつくにおいがただよい、そのような衛生面のワルさは、どこか当時に似つかわしく、今でもなつかしく思い出される。

その束になったクジを用いて遊ぶのだ。花占いで花びらを一枚一枚引き抜くように、みなで交互にクジを引き、なにか懸賞でももうけて、アタったのハズレたのと、やるのが本来の楽しみ方であったのではなかろうかと思う。

ところが、そのように遊んでいたようすを思い起こすことができない。実際には、子どもたちが集まって、めいめいひとりで50枚を、引いてはナメ引いてはナメしながら「アタリだ。スカだ。」と、やっていたように思う。

今、思い起こしてもまったくバカバカしい話なのだが、そんな風にして遊んでいた。


今、オバマの人気がすごく、これから就任式ということで、世界あげてお祭りムードであるが、なんとなく、その束になったクジを思い起こすのである。

どこがどう似ているのかキチンと分析しているわけでなく、たいへん無責任なのであるが、そう思うのである。


期待というのはコワイものだ。あのヒトラーもたいへん期待された。

ヒトラーが登場し台頭してきた時、ドイツの国民生活はたいへん逼迫しており、それゆえに国民のヒトラーへの期待も並々でなくたいへんなものであった、と聞く。

そのことに警戒感をもつ人たちは当然いたであろう。バブルは、ハジケルことになっているという常識をもつ人たちにとっては、ごく自然な警戒感であると思う。

C・G・ユングも、警戒感をいだいた一人だ。ユングは、深層心理学者としての立場から、警戒感を表明していた。ヒトラーが、単なる人間としてではなく、“実像を離れて、メシア(キリスト)のように”担がれていると感じ、単なる期待以上のモノを背負わされていると感じていた。


あまりにお祭り騒ぎがヒドイ時は、バブルだと思っていいのではないだろうか。

バブルは、いずれハジケルのである。



当方は、期待度が高いほど、お祭り騒ぎがひどいほど不安になるのである。

クジをひとりで引いてハズレている場合たいした実害はないが、アメリカ大統領のハズレは、たいへんな実害が生じる。

ちょうど前任の大統領のようにである。


アタリかハズレかは、これから否応なく了解できるときがくるのであろうが、

「おお、くわばらくわばら」である。


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「君主たちにたよってはならない。

救いのない人間の子に。

霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、

その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。」

詩篇146:3(新改訳聖書)

「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると天で大きな声々が起こって言った。

『この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される』」

ヨハネの黙示録11:15(新改訳聖書)

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