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ローマ法王の発言 [ニュース・宗教]

ローマ法王の発言がイスラム世界に影響を及ぼしているという。

発言の内容ではなく《法王(あるいは、教皇)》という立場そのものについて少し検討してみよう。もちろん、《聖書の言葉に照らして》である。

 

ローマ法王がカトリック教会のトップであるのは言うまでもない。多くの人は、カトリック教会はキリスト教の諸教派を代表するもので、特に《法王》はキリスト教の「顔」のように漠然と感じている方は多いと思う。

しかし、そうだろうか?キリストの教えを代表し実践しているといえるだろうか?

たとえば、次の言葉に照らしてどうだろうか?

 

「あなたがたは先生と呼ばれてはなりません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。

あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。

また、師(指導者)と呼ばれてはいけません。あなたがたの師(指導者)はただひとり、キリストだからです。」

 

以上は、マタイ23章8~10節(新改訳聖書)であるが・・・

「法王」のことを英語で Pope という。この語源はギリシャ語pappas (=father:父)から派生している言葉だ。カトリック信者は、法王を「父」と呼んでいる。(カトリック教会はソレを容認している。)

一般の信者同士は、「兄弟」のような関係にあるのかもしれないが、法王と一般の信者は、ホントウニ「兄弟」のような関係にあるだろうか?

よくテレビの映像などで、一般の信者たちがひざまずき額づいているスガタを見かけるが・・・

 

法王は、キリストの12使徒のひとりペテロの後継者を標榜している。では、使徒ペテロは仲間との関係でどんな態度を示しただろうか?

ペテロが、自分のことを「父」と呼ばせた記録は聖書中に無い。

また、ペテロが、他の人からの崇敬(尊崇)の念を受け入れた記録も無い。

西暦36年のこととされているが・・・

それまでユダヤ人にとって「汚れたもの」と見做されていた外国人が、神に受け入れられるようになったことを知った後、ペテロは、次のように述べている。

「わたしは、神が不公平(not partial)な方ではなく、どの国民でも、神を恐れ、義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきりわかります」(使徒10章34,5節新世界訳)

 

ソノ外国人として最初のクリスチャンになったイタリア人の軍人(コルネリオ)は、ペテロの訪問を受けた時、次のようにふるまった。

「ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとににひれ伏して拝んだ。」

ペテロは、その敬意を好意をもって受け入れたであろうか?続く節には

「するとペテロは彼を起こして『お立ちなさい。わたしもひとりの人間です』と言った。」とある。(使徒10章25,26節新改訳)

 

これは使徒ヨハネの例であるが・・・

ローマ皇帝ドミティアヌスの頃、「神とイエスについて証ししたため」エーゲ海の島(パトモス島)に流刑になっていたヨハネは、み使い(天使)をとおし神からの啓示を受ける。

(それを今日「ヨハネの黙示録」として読むことができる)

ヨハネは、自分に驚嘆すべき啓示を与えた天使の足もとにひれ伏して崇拝しようとした時、天使から警告される。

「気をつけなさい!そうしてはなりません!わたしは、あなた、またあなたの兄弟たちの仲間の奴隷にすぎません。神を崇拝しなさい」(ヨハネの黙示録 22章8、9節新世界訳)

 

聖書は、崇敬の念を示すべき対象は創造者である神ただひとりに限っている。

ローマ法王は崇拝の対象と・される(なる)べきでないし、そうする信者たちのふるまいを容認すべきでもない。

 

しかし、実際のところ、ローマ・カトリック教会がソノヨウニしているということは聖書の教え、キリスト教からの逸脱を示すものであり、モット率直にいうなら「背教」している証拠でもある。


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