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靖国神社合祀分祀の決定権は神社側に [ニュース・宗教]

7月27日 asahi.comニュース(06時05分)に

《A級戦犯、広田元首相の遺族 「靖国合祀合意してない」》

という見出しで 記事が出ていた。

 

落日燃ゆ 東京裁判でA級戦犯として起訴され、処刑された広田弘毅元首相については城山三郎さんが『落日燃ゆ』という伝記小説として記している。もちろん城山さんは、広田元首相を好意的に描いているのだが・・

その小説がドラマ化されたものを一度見た覚えがある。

滝沢修が広田元首相を演じていた。拘置所のなかでの場面で、同じ監房に収容された他の者から「楽しかったことはなにか」と尋ねられ・・・「楽しかったこと・・・」と、困惑した顔で記憶をたどるのだが、こたえの出てこないありさまが印象的であった。

広田元首相は唯一の文官として処刑に甘んじたのではなかったかと思う。(処刑者は7名であった)

 

そのご遺族が、靖国神社に合祀されていることを遺憾に思っている。

お孫さんの弘太郎さんは「合意した覚えはない。今も靖国神社に祖父が祀られているとは考えていない」と述べたということだ。

 

靖国神社の広報課は「弘田弘毅命に限らず、当神社では御祭神合祀の際には、戦前戦後を通して、ご遺族に対して御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」とコメントしたということだ。

実質上の合祀決定権は神社側にあるとされている。

 

(医療の世界ではインフォームド・コンセント、インフォームド・チョイスが主流になりつつある今日以上のようなことがなされているということだ。)

 

太平洋戦争で亡くなった台湾先住民の遺族らが「無断で祀るのは民族の意思に反する」として合祀取り下げを求めたが、神社側は「神として祀った霊を分けることはできない」という立場から申し出を拒否したということだ。

 

宗教選択の自由は憲法で保証されているはずだ。宗教の選択については、本人の意思が最も尊ばれるべきだ。自分の知らぬうちに、自分の名がある宗教団体の名簿に入っていることを知ったなら驚くにちがいない。まして、自分の奉じる宗教等がすでにあって、それとはまったく異なる教えの宗教団体に自分の名があることを知ったならどうだろうかと思う。

「死人に口なし」である。しかし、生前それなりの意思をもっていたはずだ。その意思を考慮にいれず、また、ご遺族の意思をも考慮せず、事務的に合祀していく靖国神社の対応は人間の尊厳を無視するもののように思う。

 

ましてや、靖国神社で合祀されるということは祭神として祀られるということだ。

神様にされるということだ。

先の戦争で「お国のために」亡くなった方のすべてが"自ら”お国のために命を捧げたわけではない。「お国のために」命を供出させられ、非業の死を遂げ(させられ)たと思う(ご本人)ご遺族もいるはずだ。靖国神社をウラミに思っている方たちも多くいるはずなのである。靖国神社は戦争遂行と戦意高揚のための道具とされてきたという歴史がある。

その靖国神社によって命を供出させられ非業の死を遂げたのちに、今度は、神として祀りあげられて(保阪正康氏の報告によれば靖国神社併設の資料館はまるで戦意高揚をはかるための施設のような状態であるということだ。その歴史観はまるで、戦争遂行中のソレであるということである)誤った歴史観にもとづく、あやまった愛国心の発揚に(自分が・家族が)用いられるとしたなら、その亡くなった方たちの気持ちはいかがだろうか?そのご遺族の気持ちはいかがだろうか? 

・・・などなど思ってしまうのである。

 

#「生ける者は、その死なんことを知る。されど死ねる者は何事をも知らず、また報いを受けることも重ねてあらず・・・その愛も憎しみも妬みも既に消えうせて彼らは日の下でおこなはるる事にもはやいつまでも関わることあらざるなり・・」伝道の書 9章5、6節

 


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