「さわやか」さを得る方法 [スピリチュアルな話題]
暑いなかでの「さわやか」な話題となればイイですが・・
むかしも今も、庶民のくらしはなかなかタイヘンです。
イエス・キリストは、当時のひとびとに次のような招待のことばをかけました。
「すべて、疲れた人、重荷をおっている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(日本聖書刊行会:新改訳聖書)
「すべて、労苦し、荷を負っている人よ、わたしのところに来なさい。そうすれば、わたしがあなたがたをさわやかにしてあげましょう。
わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で、心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。
わたしのくびきは心地よく、わたしの荷は軽いのです。」
(ものみの搭聖書冊子協会:新世界訳聖書)
*上の引用文は、マタイによる福音書 11章28~30節
#イエスが活動した1世紀当時のイスラエルは、ローマ帝国の支配下にありました。税制は二重になっていました。市民としての一般税と宗教税があり、どちらも軽くありませんでした。
しかも、ローマ当局の徴税制度は徴税の権利を入札によって決めました。最高額の入札者に当局は徴税業務を委託しましたので、委託された業者は、正規の税額のほかに自分の手数料を上乗せして徴税しました。
委託された業者は、徴税業務を、さらに下請けにまわしていたそうですので、実際の税額よりはるかに大きな金額を納税者は収税人に支払うことになりました。
さらに、当時の労働者は、1日に12時間、週に6日労働しました。一日の賃金は1デナリがふつうでした。
1デナリでどれほどのものが購入できるかというと、小麦粉で12リットル、ワインにして1.5リットルほどだそうです。
今日ならいくらくらいの賃金になるでしょうか?
しかも、当時の宗教指導者たちは、一般の人々を無学で汚れた者たちとして見下していました。そして、神がモーセに与えた律法の規定のほかに、伝承されてきた膨大な量のおきてを人々に押し付けていました。
生活全体を覆うようなこまかい規則にしばられて庶民は喘いでいました。
庶民は、経済的に宗教的におおきな重荷を負わされていたのです。
上記のイエスのことばはそのような背景で語られたものです。
キリストさんはすごいなぁ。こんな精神的な支えになれる人が現世にいたらすごいと。私の場合少し労苦が足りないようですからもっと精進いたします。失礼しました。
by Santa (2006-08-01 05:52)
私は時々思うのです。
「法」というものは決して「正義」などではなく、人が人を管理するための方便の側面を持っているのではないのか?と・・・。
合理的に搾取するための、非常にスマートなレトリックではないのか?と・・・。
by 扶侶夢 (2006-08-02 01:20)
Santa様
うちの父が亡くなった時、まだ在学中だった妹に、近所の方(親戚ではない)が「なにか困ったことがあったら来いよ」と言ってくれたとか・・。たとえ単なる世辞であったとしても「なかなか言える言葉ではないよなあ」と思ったものですが・・、イエスは特定のだれかにではなく「労苦し、荷を負っている人」すべてにソノヨウニ呼びかけるわけですから・・わたしなど単純に「男ですなあ・・・」と感嘆してしまうのであります。
by 環虚洞 (2006-08-02 13:39)
扶侶夢舎様
「法」が、「管理するための方便」「搾取するための・・レトリック」になってしまっている・・というのが歴史と現状を概観する時、すなおに引き出される結論かもしれませんね。(経済システムなど人間のつくりだしてきたひろい意味での「法」も含め、総じてソウイウものに成り下がっているのではないでしょうか)本来ソウイウものであってはいけないはずなのですが・・。
by 環虚洞 (2006-08-02 14:11)