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「文学界」5月号、平凡社「こころ」を読む(図書館にて)


文學界2017年5月号

文學界2017年5月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/04/07
  • メディア: 雑誌



#文学界新人賞作品「影裏」をみる。書き出しから、ミズナラの倒木にふかい関心を寄せる友人についての記述まで、その後、飛ばして、その友人の死に対する父親の述懐を記した最後を読む。そして、受賞作品選評に目をざっと通す。著者は、岩手県在住という。

その中で、おやっと思った言葉があった。「全裸合同で懇親会」。最近の会社は、親睦のためにたいへんな会合をもうけるものだと思ったが・・・、老眼のなせるワザである。「全課合同で懇親会」の「課」と「裸」を見間違えたのである。ちなみに、いまだ、当方は「裸眼」で生活している。免許も・・。

#御厨貴先生の連載『御厨流政治道場』、その第1回を読む。『五回目の最終講義』と題されているので、今回が連載最終回かと思ったが、第1回目である。東大を卒業して後、奉職した大学の放浪記である。なぜ、職場を転じたかに注目したい。奉職したのは、都立大、政策研究大学院大学、東大先端科学技術センター、放送大学、青山学院大学国際政治経済学部、東大先端研究客員教授(再任)と、「転石苔生さず」を諺どおりに実行し、それでも、しっかり「苔」を生してきたという自画自賛とも思える内容であったが、オーラル・ヒストリーを日本に根づかすための先生の苦労をしのぶことのできる内容で、「政治寄席」なる講座を開く先生ならではの語り口が文章に反映されていて面白かった。ふつう、東大から都立大に移って定年退職までずっと居るのがフツウ(型)なのだが、先生は破格の歩みをした。「私のような伸縮自在、融通無碍の政治学は、生涯一大学の型では花開かなかっただろう。大学放浪の中でこそ、政治学の領分を次々と開拓し、果実を収穫しえたのだと今は思っている」と結ばれていた。(やっぱり、「自我自賛」かなあ)。次回以降も目をとおしてみたい。

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こころ Vol.36

こころ Vol.36

  • 作者: 嵐山光三郎、磯田道史ほか
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/04/12
  • メディア: 単行本



平凡社「こころ」は、創刊時、図書館に定期購入するよう依頼し、リクエストが叶った雑誌。ところが、36号にいたるまで、読むことなく過ごしてきた。本日、目をとおして、たいへん損をした気分になった。

嵐山光三郎+磯田道史との対談に目をとおした。「西行から芭蕉へーその① 西行とその時代」。目次は

“才能の窓”があく院政期 / 北面の武士の実態 / 鎮魂の精神 / 心を空に / 奥州行きは諜報活動 / 旅と西行と能 / 保元の乱と平治の乱 / 男と男の絆 / 処刑の嵐がもたらしたもの / 源義経と真田幸村 / 平家の優しさと文明度 / “みだれ黒髪”の衝撃 / 崇徳の呪いと平家の滅亡 / 「願はくは」の謎 / 美と死が同居した時代


たいへん長い対談である。「不良中年」を売りものにしていた光三郎さんの実力を見る思いをした。「磯田先生を相手に、ここまで話せるとは・・」(など言うものなら「失礼千万」と叱責されそうであるが)。お二人とも資(史)料を見ることなく、対話しているのだろうか。たいしたものである。

ざっと一読して(閉館の時間が迫って、一読しかできなかったのである)、“当方なりに”思ったのは、西行という人は、たいへんなパフォーマーであったろうということだ。政治のあり様・動きを見定め、そこから身を退いた。政争・武力闘争に明け暮れる日々を迎えるまえの出家は、西行のいのちを守るものとなった。友人・知人はみな死んでいった。「西行は、生涯を通じてとんでもないドラマを真ん中で見ちゃったんですね(嵐山・談)」という具合になる。そうした中で、歌を詠む。涙をながす。

しかし、実のところ、西行のうたや涙はパフォーマンスにすぎない。ところが、その単なるパフォーマンスが、その卓越した技術ゆえに受け入れられてしまう。また、自分(のうた)が、受容されるものとなる人間関係を、それ以前に築いておくことも西行にはできた。それらは、西行が政治的に目先のきくパフォーマーであったことを示すものといえる。時の(最高)権力者とわたりあって、高野山(だったかな・・)の税の免除を願い出て、叶えられもしている。たいへんな政治力である。対談では「フィクサー」という言葉も用いられていた。

たいへん驚いたのだが、自分の「死ぬ日」を予告し、それに合わせて自殺した話もでていた。水銀自殺を図ったらしい。そうしたことで、勅撰和歌集にのちのち歌が採用されることになったという。

政治的に目先のきく稀代のパフォーマーが西行の実像か・・・。歌詠みは、情があるだけでは、つとまらない。知(技術)の裏づけがなければならない。そして、それを顕してはならない。感受されてはならない・・など思った。


当該対談中、特に印象に残り、魅力的に思えた人物は、頼朝をして「日本一の大天狗」と言わしめた後白河法皇である。「愚管抄」によると「天皇の器ではない」暗愚な人物とされているようだが、実際はそうではなかったようだ。そう思わせたのも、法皇の大人物たる所以なのかもしれない。「梁塵秘抄」の編者は、人間味を了解する「大天狗」、大政治家であったようだ。

次回は、「芭蕉」の話か。楽しみだ。

**以下、対談から**

磯田:ひょっとすると、美と汚ない死が最も同居しているのは日本史上では、この院政期の終わりごろだったかもしれない。そこに巨人がたくさん出て、ぶつかり合って、きれいなことも栄誉栄華も醜悪なことも、全部やるもんですから、すさまじいことになる。人間心理がこれほど掻き乱され、苦しめられ、また歓喜もする時代はほかにない。人生そのものが精神と肉体の過酷試験で、そこから文学が迸り出てきた時代なんです。だから、この匂いを、ここから落ちてくる院政期の文学のしずくを匂わない日本人は、すごく損していると思う。三島由紀夫あたりはよくわかっていて、この時代の和歌をよく読んでました。

嵐山:三島由紀夫は院政期の文学を意識していましたね。

磯田:明らかにそうです。昭和に美がないから院政期と同じようなことをしようとしてみたのかもしれません。死と文学を結びつけることを・・・。

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事の全体がふつう以上によく見えて、その全体の中に、自分を輝く一点のピースとして嵌め込んだという点で、西行とミシマは同胞に思える。


浜松中納言物語 (新編日本古典文学全集)

浜松中納言物語 (新編日本古典文学全集)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本



春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: ペーパーバック



五衰の人 三島由紀夫私記 (文春学藝ライブラリー)

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  • 作者: 徳岡 孝夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/10/20
  • メディア: 文庫



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