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百田尚樹の事実誤認 (土地は、先祖の汗であり血であり肉であり骨) [政治・雑感なぞ]

百田発言で火がついて、いろいろ報道されているが、そもそもの火種は、百田が「普天間基地はもともと田んぼのなかにあった」「周りに何もなかった」「商売のために住民が基地周辺に住みだした」など発言したことにある(らしい)。

しかし、事実は・・・

百田が「つぶさなあかん」と発言した〈沖縄タイムス〉石川達也編集局次長によると・・・

「米軍普天間飛行場のある沖縄県宜野湾市は戦前、『じのーん』と呼ばれるのどかな農村だった。現在の飛行場の敷地内には10の集落と役場、郵便局があり、9千人を超える人々が豊富な泉を生かして田畑を耕した。・・」「各集落の子どもたちは、国の天然記念物にも指定された松並木を抜け、うやふぁーふじ(先祖)が眠る墓を通り、国民学校で勉強に励んでいた。」とあり、

同じく、百田が「つぶさなあかん」と発言した〈琉球新報〉の松本剛編集局次長によると・・・

戦前の宜野湾村役場は滑走路付近にあった。琉球王国以来、戦後の米軍の強制接収で住民が故郷を失うまで、そこは宜野湾の中心地であり続けたのである。」

・・と、ある。つまり、そこの土地は、たしかに、人が居住し生活を営み、そして埋葬もされていたということだ。

当方、いま
葬式は誰がするのか: 葬儀の変遷史
という本を読み始めたところなのだが、その本をとおして、土地は生活空間を提供するだけでなく、作物を産出するだけでもなく、人が亡くなり葬られる場所であることを知った。つまり、土地とは、極言すれば、「先祖の汗であり血であり肉であり骨である」といってもいい

上記書籍の著者新谷尚紀は、1971(昭和46)年の香川県での現地調査の報告とからめて「両墓制の埋葬墓」について次のように記している。(以下、1章2項「土と人間」から引用 p34-7)

墓地には石塔があるはずだと思っていた私に、その人は石塔はこことは別に集落のお堂の境内にある、といってそこに案内してくれた。それが近畿地方を中心として濃密な分布を見せる両墓制と呼ばれる土葬の事例の一つであった。

両墓制のような土葬の事例ではふつう生の遺体をそのまま土中に埋めてしばらくはその上に立てる木の墓標へと墓参りをするのである。土葬なので掘り起こしたら遺体はどんなに腐食しているのだろうか、1年目、2年目、それぞれお盆の墓参りのころにはどうなるのだろうか、などと遺体の変化していくさまを想像してしまった。しかし、そんなやわな想像や感情などはすぐに吹っ飛んでしまった。両墓制の埋葬墓地というのは、もともと個々人の権利が主張できないまったくの入会的な共有共同利用の墓地だということであった。

それが古くからの慣習であり、一定区画の墓域内にその村の死者を次々と埋葬していき、個々の埋葬地点は古くなったら次々と掘り返してしまうのである。それは、私の郷里に伝えられていた火葬骨の埋納とは比べ物にならないほどに、土壌の威力を見せつけられたものであった。村の共有の埋葬墓地だから、古くなった場所は掘り返されて、出てきた古い遺骨は誰のものとわかろうがわかるまいが、そんなことには頓着せずに無造作に放られたり埋められたりしていたのである。要するに埋葬墓地とは、次々と遺体を腐敗させて土に帰すための場所なのである。死者の供養や記憶や記念のためによく石塔に戒名を書いて建てておかれるが、その後の奈良県山間部の吐山という村落での石塔調査からわかってきたのは、石塔を建てられるのは実際の死者のうちのわずか10~20%程度にすぎないということであった。それは家の代々の当主夫婦のうちでも選ばれた者だけで、それ以外は多くが未婚のまま死んだ娘や夭死した幼子のためのもので、それを哀れんだ親たちによる建立であった。ふつうに人生を送った人たちの石塔はむしろ建てないのがふつうだったのである。

そして、日本の葬式の歴史を古代・中世へとさかのぼってみてわかったことは、もともと死者の石塔、墓石というのは早い例で中世後期の戦国期、一般的には近世になってから普及してきたものにすぎないということであった。それ以前の長いあいだの墓地とは、この両墓制の埋葬墓地のようなものだったのである。つまり、両墓制の埋葬墓地とは、石塔の普及以前の埋葬墓地の景観とその実態をよく伝えて来ていたものなのである。それは、すべての人間の遺体を個々の記憶や執着から解き放ち、自然に帰る摂理にまかせる場所だったのである。先祖伝来の家屋の近くの墓地に埋葬をされるにしても、移住先で埋葬されたり火葬されるにしても、しょせん人間は土に帰る存在であるということを、日本各地の民俗は教えてくれているのである。まさに「人間いたるところ青山あり」ということなのである。

ながながと引用したが、百田の論議(「普天間基地はもともと田んぼのなかにあった」「周りに何もなかった」「商売のために住民が基地周辺に住みだした」)は、「土地を、その生産性・経済価値をのみ尺度にして計っている」論議に思える。モノの見方としては、きわめて軽い。

もっとも、ポツダム宣言を熟知せずに「戦後レジーム」について語るABE首相のお友達で、百田氏はあるからして、「類は友を呼ぶ」論議ということなのであろう。


大地に接吻
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-06-16

小川芋銭_畑のお化け
http://www.gallerysugie.com/mtdocs/artlog/archives/000053.html

6/30追記
4/17に101歳で亡くなられた作家・秋原勝二さんのメモリアル記事があり、その中で氏の言葉が紹介されている。
「自分の土地というのは草一本でもかわいいものですよ」。そのころ、東日本大震災から1年、生まれ故郷の福島で、避難を余儀なくされている人々の気持ちを、そう代弁した。自身も早くに両親を亡くし、7歳で姉のいる奉天(今の瀋陽)に渡った。それからの人生はさながら、故郷喪失の連続だ。・・



葬式は誰がするのか: 葬儀の変遷史

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  • 作者: 新谷 尚紀
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  • メディア: 単行本



河童芋銭----小説小川芋銭

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