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佐分利信・高峰三枝子主演『喜劇 嫉妬』1949年を見る [ドラマ]

佐分利信・高峰三枝子主演 新藤兼人脚本、吉村公三郎 監督作品『喜劇 嫉妬』1949年を見る。

嫉妬(高峰三枝子、佐分利信、久慈行子)1949
https://www.youtube.com/watch?v=wij2ioXxkfA

戦後の映画である。結婚とは何かを「喜劇」として扱っている。

佐分利信と高峰三枝子は夫婦。結婚して7年になる。子どもを亡くしてお手伝いと3人で大きな家に暮らしている。

佐分利は会社専務である。会社では新人教育で講話もする。そこでの話を聞くと、戦後民主主義社会での結婚のあるべき姿を知っているようである。しかし、実際の家庭生活では、まったく戦前(のしかも悪いところ)を体現している。暴君である。愛人を囲ってもいる。

その暴君・夫が、妻をうたがい、妄想し、嫉妬に狂う・・・。

映画タイトルには『喜劇』という文字が付されている。冒頭流れる音楽はジャズ風にアレンジされた「結婚行進曲」(メンデルスゾーン)と「葬送行進曲」(ショパン)である。これから始まる映画は「喜劇」ですよとノロシが揚げられるが、それはあくまでも、そのようにも見ることができるということであって、内容はたいへんシリアスである。価値観が大転換した戦後社会において、同様の問題が実際に生起していたのではなかろうか。それを真向から取り扱っているように思う。

脚本は新藤兼人である。新藤は後に、女優 音羽信子を妻とする。新藤は、妻のことを話す際には「音羽さん」と言っていた(ように記憶する)。そこには敬愛、リスペクトが感じられた。(実際のところはどうか知らないが)そういう新藤の目から見るなら、佐分利のような家庭人としての振る舞いは「悪」であって、戯画化し糾弾したくなるものだったのではなかろうか。

お手伝いの女性のまえで、取り乱す佐分利の姿を見ながら、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』の主人公を思い起こした。映画自体、外国文学作品の翻案かもしれない。佐分利が寝床で読んでいたのはバルザックの『風流滑稽譚』。バルザックの『人間喜劇』の一連の作品の何かを参考にしているのかもしれない。

同じく、戦後の映画だが、やはり佐分利と高峰が夫婦役を演じている映画に『自由学校』がある。そこでは、高峰が恐妻を演じている。佐分利はほうほうのていで家を飛び出す。併せて見るのも一興である。

渋谷実監督『自由学校』松竹1951年を見る
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2020-12-19


自由学校 [VHS]

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  • 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
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  • メディア: VHS




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