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新元号「令和」について感じたこと [ニュース・社会]

朝日もヨミウリも同じような紙面構成で、新元号「令和」について三人の著名な先生方に論評させている。総じて、好評価である。

もっとも、難癖をつけても、しようがない。先生方は、いいところだけを見ようという腹積もりらしい。難癖をつけて、これから先の「令和」の日々を、(テレビ出演などするたび)イヤなヤツなどと評価されてはたまらない、にちがいない。

ところで、当方も難癖をつけるつもりはない。ただ、印象、感じたところを記す。

「令和」と聞いて、命令に、あるいは、号令に 和せ とは気持ち悪いな・・との印象をもった。

これは、漢文の読み方としては、まったくイイカゲンである。そうであれば、「令」の前に動詞として「和」がこなければならない。もっとも、万葉集の序文の、アッチから一つ、コッチから一つ文字を拾って名詞(元号)とする方が、漢文としては超絶技巧的にヘンであろうから、それに比べれば許されるのではないだろうか。いずれにしろ、そう感じたのである。直感なのだからしようがない。

もともと文学的資質からか、三島由紀夫同様、“われら”から“遁走”したがる傾向があるのである。お許し願いたい。平和と一致と協調の「和の心」を高く評価する点でやぶさかではないのだが、そこに、強制や独り善がりや拘束されるものが匂ってくると途端に逃げ出したくなるのだ。

梅の花の香りほど芳しいものはなく、惹き付けられる香りも他にないが、かぐわしい梅の香りと新元号は、当方にはなっていないようだ。


「『花は咲く』を歌ってまとまる気持ち悪さ」(辺見庸さんの言葉から)
https://bookend.blog.so-net.ne.jp/2016-02-26


われらの文学〈第5〉三島由紀夫 (1966年)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1966
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