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ようやく見えてきた「怪物」の正体


フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

  • 作者: 藤岡 換太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/08/22
  • メディア: 新書



『フォッサマグナ』を読み始めた。講談社ブルーバックスの一冊である。

フォッサマグナは、「日本列島を人間の身体にたとえるなら、背骨のど真ん中」のように重要なモノであるので、すでに十分理解されていると思っていたが、そうではないという。書籍裏表紙には「ようやく見えてきた『怪物』の正体」とある。

どんな「怪物」かというと、「ヌエ(鵺)」のようなものだという。ヌエとは、『平家物語』に登場する「顔が猿で胴体が狸、手足が虎で尻尾は蛇」というとらえどころのない怪物である。

『まえがき』で著者は、ヌエの正体に迫るナゾ解きを「無謀な冒険」にたとえ、「非才の自分が・・」と謙遜する。また、『あとがき』でも、「とんでもない怪物」を退治した「源頼政になれたかどうかは怪しい」とふたたびヌエをもちだす。

まだ、はじめの方を読み出したばかりだが、分かりやすくオモシロイ。


「怪物」で思い出したのは、ここのところ読んでいた『魔女・怪物・天変地異 近代的精神はどこから生まれたか(筑摩選書)』。そこでは、むかしの偉い方たち(『博物誌』の著者プリニウスやアウグスティヌスなど)が、好奇心に発動されて知識を得ようとするものの、伝聞や想像力の影響によって、モノをしっかり捉えることができないばかりか、その真の姿からほど遠い怪物にしてしまったり、そのようなモノがあると思い込んだりした様子を知ることができた。真実の姿をありのままに捉えるというのは、なかなか難しいもののようである。真実を見ているようで、実は見ていないこともおおいにありうる。うっかりすると、身近に暮らすあの人この人を「怪物」(女性なら「魔女」)にしているかもしれない。その後に来るのが、怪物退治や魔女狩りとなってはオソロシイ。


魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)

魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)

  • 作者: 黒川 正剛
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



以下は、『魔女・怪物・天変地異 近代的精神はどこから生まれたか(筑摩選書)』の(「好奇心観の変化」と「近代的精神の成立」)から抜粋引用。

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さて、「好奇心観の変化」を促した17世紀に起こったもうひとつの出来事は、「驚異の時代の終焉」である。16世紀において、怪物・奇形の誕生、地震、彗星の飛来、血の雨をはじめとする驚異は神の怒りや警告を示すものとして受容されることが一般的であった。ことに宗教改革が勃発し、宗教戦争で新旧両派が血で血を洗う世の中になると、新旧両派のそれぞれの思惑から驚異が利用されたのであった。しかし、時代を経るにしたがって、「自然の驚異」が前面にせり出してくることになる。驚異は神の怒りというよりはむしろ、自然の豊饒さのしるしとして受け取られていくのだ。このような態度が濃厚に見られるのがベイコンであった。ベイコンは『ノウム・オルガヌム』(第2巻29)で次のように述べている。将来の自然哲学者に対する助言である。

編集物、もしくは特別の自然誌が、すべての怪物と自然の驚異的な誕生について作成されなければならない。要するに、自然において新しく珍しく普通でないあらゆるものについてである。これは信用の価値あるものにするために、厳密な選択によって行われるべきである。

このベイコンの言葉からは、怪物のような異常なものからこそ、自然が理解できるのだという発想を読み取ることができるだろう。怪物の研究が、自然科学研究の重要な対象とみなされているわけである。だが怪物は、17世紀までに地震や彗星など他の驚異との結びつきを解消していくことになる。怪物の問題は、比較解剖学と発生学という医学の領域で扱われることになるのだ。むろん、この過程は緩慢な動きであった。認識論と科学史の総合を目指したフランスの科学哲学者ジョルジュ・カンギレムはこう述べている。

まさしく19世紀になって、奇形についての科学的説明と、それに付随して怪物的なものの縮小が成し遂げられる。奇形学は、比較解剖学と、後成説の採用によって改革された発生学とが遭遇する地点で誕生する。(「奇形と怪物的なもの」『生命の認識』)

17世紀以降のヨーロッパ社会で顕在化し始めた近代合理主義的な科学と思潮は、まだ中性的な特徴を残しながらも、魔女狩りと驚異の時代を徐々に終焉に向かわせた。その思潮を下支えしたものこそ、17世紀の好奇心の変貌後に顕在化した「賞賛されるべき男の好奇心」、すなわち、ひとつの「近代的精神」だったのである。

驚異の領域に含まれていた彗星や隕石の飛来は天文学、地震は地学という個別の専門的学問領域でやがて研究されることになるだろう。もちろん、博物学という総合的学問領域が当分のあいだヨーロッパの知の領域を支配することになる。これらの学問も17世紀に顕在化した「賞賛されるべき男の好奇心」のもとで展開されていくことになるが、その実像の探究はまた別の機会に譲らねばならない。p234-236



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