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北杜夫の死:ユーモアとエスプリ(なだいなだ) [本・書評]

北杜夫と面識があるというだけでなく、たいへん親しかった人物になだいなだがいる。

たしか、北がどこかで書いていたと思うのだが・・、「(なだは)自分の3倍(5倍だったかな?)も勉強した」と北が言うのを、なだが聞いて、「てめえの3倍程度の勉強で医者になれるかよ」と言われたのだ、とあったように思う。

呼称として記されていたのが「てめえ」だったか「貴様」だったかもアヤフヤなのだが、いずれにしろ、昵懇の仲ならでは言い回しで、読んで、たいへん愉快であったのを思い出す。

なだにとって、交友が深かっただけに北の死はその分辛いものであったろうと思う。

なだは、「北杜夫の死」と題して、次のように記している。先回記した佐野眞一の記す北の印象、「少年がそのまま老年になったような」「邪心というものがそもそもない」ことが、なだによってうまく変奏されている。そして、なだと北のちがいも・・・

(以下、なだいなだの「ぼんやりおやじのブログ」からの引用)

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北杜夫の死

北杜夫が亡くなった。

かれは旧制中学の二年先輩で、医局の二年先輩で、文芸首都では五年か六年先輩だった。ぼくは五輪の書の「万事において、われに師匠なし」で通し、先輩後輩という人間関係を認めなかったが、かれだけは例外で、いつまでたっても、かわいがってくれる先輩であったが、決して反発したことがなかった。彼には、反発させるものが、そもそもなかったのだ。大声で「バカ」とか「バカモン」と叫んでも、叫ばれたものに反発させないのだ。怒るより、笑っちゃうのだ。

 
かれも、ぼくも、笑わせる文章を書いたが、かれの笑いは天性のもので、ドイツ語の「フモール」に当たる笑いだ。体質から自然に滲み出してくる笑いで、つまりユーモアで、かれはそばにいる人間を、なんとなしに笑わせてしまう雰囲気を言動のまわりに持っていた。ぼくのは作って笑わせる、エスプリで、言葉が面白いだけだった。

ぼくは、かれを乗り越えようとする対抗意識をもたず、ぼくがぼくであることを求めるようになる。そうして、対話で思想を語り、直接的に社会問題と向き合う姿勢をとるようになる。ま、どちらかというと七面倒なものにとりくむ。それをなんとかやさしい言葉で語ることに、自分の道を見つけるのだ。

同人誌と医局時代の雰囲気を知りたかったら、「しおれし花飾りのごとく」を、図書館で探して読むとわかると思う。南はもちろん北杜夫がモデルだ。「しおれし花飾りのごとく」は、わが打ち捨てられし青春よ」で始まるアポリネールの詩の二行目で、青春時代の終わりを書いたものだ。 

http://blogs.yahoo.co.jp/nadashigbaka/7204173.html

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しおれし花飾りのごとく (1981年) (集英社文庫)

しおれし花飾りのごとく (1981年) (集英社文庫)

  • 作者: なだ いなだ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1981/01
  • メディア: 文庫



どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

  • 作者: 北 杜夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/09
  • メディア: 文庫



どくとるマンボウ昆虫記 (新潮文庫)

どくとるマンボウ昆虫記 (新潮文庫)

  • 作者: 北 杜夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1966/05
  • メディア: 文庫



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